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理論問題 文化・歴史 : 充電視点 終戦のエンペラー
投稿者: rodo-info 投稿日時: 2013-8-31 23:26:14 (780 ヒット)

映画『終戦のエンペラー』を観て






原作: 岡本嗣郎(「陛下をお救いなさいまし 河井道とボナー・フェラーズ」)
評者:前田 力


 それにしても暑い夏だ。お盆が明けて映画『終戦のエンペラー』を観に行く時間ができた。平日の昼間だったが高齢のご夫婦が多いように見受けられた。

 歴史の事実は見る角度によって、語り部よって違う話になってしまうのと言うのが実感だ。

 映画は「玉音放送のなされた8月15日から、8月30日のマッカーサー来日、そして9月27日、天皇のマッカーサー元帥訪問に至るまでが取り上げられている。

 マッカーサー元帥が命じた「天皇の戦争責任について10日間で調査しろ」という『極秘指令』の報告結果が戦後の日本の行く末を決定づけたとして描かれている。

 焼け野原の東京を眼下にマッカーサー元帥は厚木基地に降り立つ。副官として来日したボナー・フェラーズに「戦争責任は誰にあるのか、天皇の戦争責任を問う証拠を10日間で調べ上げて来い」との命をくだす。フェラーズは親日家であり日本文化にも傾倒している。東京裁判にかけられる政府要人との接触を慎重に進めながら開戦に踏み切らせた軍内部の動向や、天皇の動向を探っていく。

 その中で陛下は開戦には賛成していなかった。日本中が戦争に酔っていたと東京裁判にかけられた被告たちに語らせる。

 海の向こうに新しい未来を描いて「大東亜共栄圏」という夢に向かって酔っていたのも事実であろうし、戦争に勝つこと、その向こうに貧困からの脱却と繁栄が叫ばれていたことだろう。

 連戦連勝から敗北と撤退、撃ちつくす弾が無くなるまで戦わされた兵士たち。そしてすべてを失った。焼け野原に立ちつくした人々、戦中よりひどい苦しみを背負って生きぬかなければならなかった人々。そのやるせない怒りはどこに向けられたのだろう。

 まだ、国内には200万人を超える兵力がありながら「耐えがたきを耐え、、、」の玉音放送で降伏をさせた天皇の威信。

 天皇を生かすことが日本を支配するうえで有効であった。少なくともアメリカ占領軍は玉音放送の『命』をもってそう判断した。

 映画は何か新しい史実でも見せてくれるかとおもったが何もなかった。天皇がマッカーサー元帥を訪問するシーン。天皇が自らの言葉で「すべての責任は私にある」というくだりがあるが史実かどうか定かではない。しかしそう描かれたことを観ても、現人神となった天皇を賛美しているようにしか見えてこない。

 そう思うと史実の語り部から何を学ぶのか、聞き手の視点が大きく問われているような気がしてくる。『はだしのゲン』が残酷な描写があるから貸出制限図書にしたとか言いながら、TVゲームでは子供たちが戦闘と殺戮シーンに熱中しても公共機関が企業に制限を加えたことはない。

 この国の何かが大きく狂ってきているように思えてならない。

 改憲論議が、憲法解釈が大きく論ぜられる時に自国の利益や権益の擁護という開戦前夜の言葉がまことしやかに飛び交っていることに空恐ろしくさえなる。映画の感想から少し話がそれたかもしれないが、映画と言う文化でも天皇制に対する新しい切り口をもった作品を期待したいと思う。

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