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世界の労働者のたたかい : 豊かな国ベトナム
投稿者: rodo-info 投稿日時: 2004-10-5 23:27:57 (2202 ヒット)

 

千葉県・小学校教師・前田伸治
「労働通信」2004年5月号

 「豊かな国」。これが私のベトナム旅行の感想だ。

 「ベトナム大縦断 世界遺産紀行七日間」のツアーの第一日目はハノイから始まった。

 リニューアルしたばかりの空港を降りると、ベトナムの若いガイドさんがにこやかに迎えてくれた。彼は、ハノイ大学の日本語学科を出たばかりだという。
イラクのことをどう思いますか?

 バスで、ホテルに向かう途中、ガイドさんが ベトナムについて話してくれた。

 「ベトナムの四〇〇〇年の歴史は戦争ばかりでした。アメリカとの戦争が終わって二五年たったばかり。その影響で、ベトナムのインフラ整備は遅れています。私の父親は、ベトナム戦争に参加して、けがをして、今も障害をもっています。ベトナム人は戦争より平和を望んでいます。みなさんは、イラクのことをどうお考えでしょうか? 私はアメリカのイラク攻撃に反対です。

 ベトナムは社会主義国家だからといっても、お金があれば土地や、家を持てます。ハノイの家の色はご覧のとおり茶色で、フランス風です。ベトナム人の一ヵ月の平均収入は五〇〇〇〜六〇〇〇円です。物価は安いです。みなさんもハノイの街を見てわかるとおり乗り物はオートバイがおおいです。一台二十数万円します。お金がないから、友達や、銀行から借りてバイクを買います。仕事につけるかどうかの条件は、バイクを持っているかどうかです。ベトナムには地下鉄がありません。バイクを持っていないと、仕事にならないのです。

 公務員の一ヵ月の平均収入は二〇〇〇〜三〇〇〇円です。でも、いい家に住んでいます。ウラからお金をもらえるからです。

  どこの国にも良いところと、そうでないところがあります。ベトナムもそうです。そうでないところも、見つめていかなければなりません。

  国営の店に働いている人は、『がんばりたい』という気持ちが足りないです。いくらがんばっても給料が同じだからです。しかし、私たちは、がんばらないといけません」。

 途中、バスの窓から、公園と像が見えた。レーニン公園とレーニン像だという。

 市内はバイクの音は耳ざわりだが、緑の木々も多く落ち着いた感じだ。

今でもホー・チミン人気は絶大


 二日目のハノイ市内観光の途中、ホー・チミン博物館を通った。ホー・チミンの生誕一〇〇周年を記念して建てられた博物館で、旧ソ連などの援助で建てられた博物館だそうだ。大きな博物館だった。私たちのツアーは、残念ながら廟のなかに入れなかったが、ベトナム内外の人人が参観の長い行列を作っていた。命日には、何キロメートルもの長い行列ができて、ホー・チミンを見るまで一日はかかるという。入り口には「ホー・チミン主席のことはいつまでも忘れない」と書いた大きな看板があった。

 ガイドさんはこういっていた。

 「ベトナム人民にとって主席は生き仏です。日本の天皇はすききらいがあるようですが、ベトナムでホー・チミンのことを悪くいう人はいない」。今でも、ホー・チミンの人気は絶大だという。大きくて、立派な廟だった。

 
ホーチミン廟 


現在も残る戦争の傷跡


 午後、ハロン湾(トンキン湾 )へ向かった。窓から見える、のどかな水田は、日本の水田風景とほとんど変わらない。水田の区画整理がきちんとされており、灌漑用水もしっかりできていた。獲れた米が、ベトナム人の口のなかにきちんと入れば、まず、飢えることはないはずだと思った。ベトナムは世界第二位の米の輸出国だ。

 水田では、婦人たちが黙々と働いていた。ベトナムは「かかあ天下」の国だといわれている。ハノイ市内でも見たが、男連中は、街角でたばこを吸いながらたむろしていた。一方、婦人たちは、せっせせっせと働いていた。ただ、長い戦争で、男たちは戦場に行き、婦人たちが、仕事のの中心にならざるをえなかったのだ。

車窓から見た水田地帯



 途中、国立の障害者支援工場に立ち寄った。刺繍の製造、販売をしていた。約三〇〇人位の若者達が共同生活をしながらミシンで刺繍を織っていた。おおくが、ベトナム戦争の枯れ葉剤の影響で手足が不自由になった若者たちだった。

 ガイドさんの話では、ここベトナム中部地域はホー・チミンルートがあり、アメリカに集中的に攻撃された。この地域では、一〇人中六人が何らかの障害を持っている。以前、障害を持った人たちは隠れるように生活して、なかには自殺する人たちもいたという。

 政府は最近、社会福祉に力を入れはじめ、この工場は、その一つとして造られたという。でも、こうした施設はベトナムでは、ここだけだという。ここの若者たちには仕事と生活があるせいか表情が私には、明るく見えた。
もっと頑張らないと……

 バスの長い乗車時間だが、ガイドさんの話は途切れない。

 「公営、国営の会社は、午前中、仕事して、二時間昼休みがある。昼休みに家に帰る。午後は五時までで、四時頃になると、みんなそわそわし始める。ベトナムは貧しい。だから、もっとがんばって働かなくてはいけない」。

 道路沿いに時々、墓地が見えた。ベトナム戦争で亡くなった人の墓地もおおいという。どこで亡くなったかはわからないという。バスは高速道路も走った。日本のODAで作ったという。国のドイモイ政策もあるのだろうが、道路は、どこでも建設ラッシュだった。

 ガイドさんいわく、「ベトナム人は日本人が好き。おしん大好き」。

 ハノイの工業団地の九〇%は日本企業だ。途中、日本との合弁会社の大きな工場が見えた。日本で中古車二〇万円だとするとベトナムでは一〇〇万円するという。高速道路のわきの一般道を馬車が走っていた。

焼身自殺したお坊さんの寺


三日目は世界遺産のハロン湾クルーズ。大小三〇〇〇あまりの島々が点在する風景は、すばらしい。政府は最近、ハロン湾を観光地として、宣伝を強めるという。すぐ近くは中国だ。中国からの観光客にも出会った。

 四日目はベトナム戦争中にアメリカ軍最大の基地が置かれたダナンを訪問し、五日目はフエに向かった。

 海と、切り立った山の途中の風景は、正に絶景だった。ハイブァン峠には一九世紀に造られた砦があった。第二次世界大戦には日本軍が、ベトナム戦争中にはサイゴン政府軍が使った。戦争の歴史を忘れさせるほど峠からの眺めはすばらしい。

フエは、ベトナム最後の王朝の都が置かれたところで、日本でいう京都みたいなところだ。グエン朝の王宮は、中国の紫禁城を模したというだけあって壮大な建造物だった。しかし、ここも、裏側の大半の建物が、ベトナム戦争で破壊された。

 ティエンムー寺に行った。きれいな塔があった。この寺はベトナム戦争中、お坊さんが政府に抗議して、焼身自殺したことでも有名だ。当時、日本のテレビ、新聞でも大きく報道された。彼がサイゴンまで乗っていった外車が展示されていた。彼が、なぜこんな立派な車を持っていたかは、わからないという。

 フエでのガイドさんは四〇代ぐらいの元高校教師だった。日本語のカセットだけで、マスターしたという。すごいの一言につきる。


「国が生きるために僕たちは死ぬ」という言葉が残されたベトナム戦争の青年たちの碑


イラクと二重写しとなった戦争証跡博物館


 六日目、ツアー最後の見学地、ホーチミン市(旧サイゴン)に着いた。一二月だったが暑くて、半袖で十分だった。

 ハノイは政治の中心、ホー・チミンは経済の中心だ。 サイゴン大教会の前では、新婚カップルが、写真をとっていた。幸せそうだった。

 旧大統領官邸の見学ができなくなり、予定変更(私にとってはラッキーだった)で、戦争証跡博物館に行った。 庭には、アメリカ軍の戦車、大砲、爆弾が展示されていた。間近に見る戦車の大きさに圧倒された。ホルマリン漬けの「奇形胎児」。政治犯へのむごたらし拷問の部屋。尋問を拒否しヘリコプターから突き落とされている写真。アメリカ軍の戦車の後ろに引きずられいく写真。アメリカ軍の爆弾をやかんの水をかけながら分解して人口の地雷を造っている写真。いくつかは、日本のテレビ、写真で見たことがあるが、胸が痛くなった。

これまで出会った、穏和で、やさしそうなベトナムの人々が、ここまで粘り強く戦ったのは、よっぽどのことだと思った。他国を、侵略することがいかに不当なことか、今のイラクのことが、二重写しに見えた。

 われわれを案内してくれた若いガイドさんの祖父は元ベトナム民族解放戦線の一員だった。ガイドさんの話を、紹介しょう。

 「ベトナム戦争は、世界の人々が戦争をやめろ、といってやめた。フランスはベトナムを破壊したが、戦後、援助をした。アメリカは、破壊したが、戦後、お金を払わない。イラクは、ベトナム民族解放戦線みたいなのがいないので、アメリカはすぐ支配できた。フセインがいなくなって兵隊はいなくなった」。

 「アメリカはベトナムから出て行け」。館内にはベトナム戦争当時の日本のポスターが貼ってあった。外国人の見学者もおおかった。

 ツアーが終わった。食事も春巻きなど中国の影響だと思うがとてもおいしかった。心に残るツアーだった。

ベトナム人の「生きる力」


 付け足しだが、今回のツアーの添乗員さんは、中学校しか出ていないという。驚いた。病気がちだったからだという。その後、イタリアに写真の勉強にいったり、オーストラリアに仕事にいったりしたことで語学を身につけたという。今、日本の教育で「生きる力」と良くいわれているが、その中身が少しわかったような気がした。
ベトナム。もう一度行ってみたい。

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