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社会主義について : ソ連はなぜ崩壊したのか
投稿者: rodo-info 投稿日時: 2004-10-21 21:23:08 (4805 ヒット)



『労働通信』2003年11月号


 九月六日、『労働通信』編集委員会と同京都読者会が主催して、京都KPC会館で「ソ連はなぜ崩壊したか」をテーマに前大阪経済大学教授の上島武氏の講演会を開催した。参加者は、労働者や教師、自営業者など約二〇人であった。
 以下、その講演内容を紹介する。




はじめに
 ・ソ連の崩壊が世界の政治・軍事状況に与えた影響
 ・ソ連の崩壊が国民に与えた影響

ソ連崩壊の原因
 ・経済的要因
  ―労働生産性をめぐる闘争
  ―計画経済をめぐって
  ―国民生活の向上は後回しに
 ・政治的要因
 ・民族的要因
  ―二つのソ連邦構想
  ―民族エネルギーの爆発と連邦崩壊

むすび


 私は、大阪経済大学で「社会主義経済論」という科目を担当してきました。一時は、若い学生さんも、ソ連や社会主義についての関心が非常に高い時期がありまして、米ソの緊張が非常に高まった時期、それからまた八〇年代後半のペレストロイカからソ連崩壊にいたる時期には、私の社会主義経済論の講義も大入り満員でした。しかし、ソ連崩壊後は、その関心も徐々にではなく、急速に低下してきました。この三月に退職したわけですが、最後の三年間ほどの「社会主義経済論」は、お客さんがいなくなっちゃいました。昼間の学生はそれほどでもないのですが、二部(夜間)の受講生はおおくて三人、少なければゼロという年が何年かありました。退職後、こんなにたくさんの受講生を前に話をするのは久しぶりであります。

はじめに


 はじめに、.熟△諒壊が、世界の政治・軍事状況にどういう影響を及ぼしているのかという点と、旧ソ連の国内の情勢にどんな状況をおよぼしたかという点についてのべたいと思います。ソ連の崩壊が、世界の経済にあるいは日本の経済にどのような影響をおよぼしたかについてものべなければなりませんが、それは時間の都合上割愛せざるを得ません。

ソ連の崩壊が世界の政治・軍事状況に与えた影響


 この三月から四月にかけて、「こんにちなおソ連が存在していたとしたら、ブッシュの一方的なイラク侵略があっただろうか」という思いがおおくの人人の頭をかすめたことだと思います。

 思いおこしてみますと、たとえば、一九五六年〜一九五七年にかけて、スエズ危機というのがありました。イギリス、フランスがエジプトに武力介入して、スエズ運河を軍事占領したことがありました。これはアメリカの同意を得られませんでしたが、もっとも強く反発したのはソ連でありまして、ときのソ連首相ブルガーニンがイギリスとフランスに武力で威嚇するという事件がありました。そのよしあしは別としまして、イギリス、フランスがスエズからひきあげたことの直接的な背景の一つに、このソ連の存在があったということは間違いありません。

 ただし、私がここで申し上げたいことは、ソ連はアメリカの国際政策にたいして、歯止めをかけ、チェックし、それを思いとどまらせるような力をもっていたかどうか、そういう積極的な意思と実力――軍事的な実力だけでなく、国際的な政治的影響力という面で――をもっていたかという点で考えると、いくつか反省すべきところがあります。

 たしかにソ連の軍事力は、二つの強国といわれたように、アメリカに勝るとも劣らぬ実力を持っていました。したがってアメリカにとって、つねにこれを意識せざるを得ない存在であったことは確かであります。しかし、政治的な面でいいますと、かならずしもそうではありませんで、いろいろな状況、地域におきまして、国際的な紛争をめぐって、モスクワがワシントンと協調的な政策をとることがよく見られた事実です。

 たとえば朝鮮戦争は、いままでにあきらかになってきた事実から、スターリンがゴーサインをあたえた北からの軍事行動であるということが否定できなくなっております。問題は、スターリン政権が事実上のゴーサインをだしながら、この戦争に協力するどころか、抑制というか、手を引く、自分がやけどをすることを極力避けようとします。もっと具体的に申しますと、武器援助、兵員の訓練などをしたことは事実ですが、これをあるときにいっせいにひきあげてしまいます。

 ベトナム戦争のときは、ソ連としても軍事的経済的にそうとうの肩入れをしたことは事実であります。もちろん、ベトナム戦争の帰趨を決定したのは人民の軍隊、人民の戦争でありますけれども、北爆がおこなわれている最中のソ連の軍事援助がなければ、ベトナムの犠牲はいっそう大きかったであろうといわれています。にもかかわらず、ある象徴的なエピソードを紹介したいと思います。ベトナム解放軍が、沿岸に姿をあらわしたアメリカの海軍部隊にたいして砲撃をするというときに、ソ連の軍事顧問が、「あまり大きな船をやってはいけない。周囲の小さな船を狙え」といいました。

 こうしたソ連の姿勢は、適当に援助し、適当に手を引くというのが常套手段でありました。その真の動機は、ソ連体制の狭い意味での国益優先、アメリカとことを構えることを極力回避するということです。誤解しないようにしなければなりませんが、たえずアメリカと核兵器をふりかざして対峙することがいいことではありませんでして、それなりに冷静な、計算しつくされた態度をとらなければならないのは事実であります。にもかかわらず、かならずしも賢明な選択において援助をしたり、手を引いたりとしてはいなかったといえます。

 キューバ危機のときに、中国がソ連を批評した言葉をご記憶の方があるかもしれません。ソ連がキューバにロケット基地を建設しました。しかし、ケネディーの威嚇をうけて撤去します。当時は中ソ論争の絶頂期ですから、中国は「撤去するならなぜ持ち込んだのか」とソ連の対応をきびしく非難しました。ソ連にいわせると、キューバの危機を救い、核戦争の寸前のピンチを救ったのはソ連だということになります。中国は、「そういうんだったら、なぜキューバに基地を配備したのか。それこそ冒険主義であり、冒険主義が敗北主義に転化したのである」と批判します。これはなかなかあたっているセリフですね。

 もちろん、ケネディーの脅しに屈せず、核戦争寸前までいく「瀬戸際政策」をとればよかったかといえば別問題なのですが、いみじくも中国の批判をひきおこしたように、ソ連の兄弟国への援助のなかには非常に首尾一貫しない面がありました。この首尾一貫しない、ふらふらしている根源はどこにあるのかということをさぐっていきますと、一方では兄弟国への影響力の行使・拡大を狙うと同時に、ソ連の国益を侵害してまでも、兄弟国、友好国を援助をしないという姿勢があったといえます。

 モスクワの政治家は非常に現実的な政治家でありまして、一九三〇年代のナチスの勃興にたいして、西ヨーロッパの左翼がもっとも危険なものであるとみなして抵抗を試みるわけですが、このときソ連はナチスにたいしてどっちつかずの態度をとります。ナチを真正面から批判しない。当時の国際政治では、イギリス、フランス、とくにイギリスの保守党政府がナチスにたいして宥和主義をとったのですが、スターリンの政権も一時はこれと区別ができないような政策をとったことがあります。最終的にはアメリカをはじめとする連合国と「大連合」をとって「反ファッショ」統一戦線となりますけれど、そこへいたる道はあっちへいったり、こっちへいったりします。そこにあるのは、いままであげてきたような、短期的、そのとき、その場の国益優先、なにがなんとしても戦争の即時勃発を防ぐ、それを防ぐのであればナチスと手を結ぶことさえ辞さないというものです。事実、独ソ不可侵条約が締結されたわけです。

 というわけで、「ソ連が存在したらイラク侵攻はあったか」というセリフは、口まででるんですけれど、いえない。こういう戸惑いがあるのも、いまのような歴史があるからであります。ソ連の社会主義体制というものが、どこまで世界の平和主義、社会主義、進歩勢力にとって頼りになる存在であったかどうかを、歴史が教えるところにしがたって、この時点で考え直してみる必要があります。

 ここからでる一つの結論は、ソ連が消滅したなかで、アメリカの一国主義的、単独主義的な活動を即座に阻止する勢力がどこにもないということはいえるんです。しかし、あったからといって、どうだったかということになりますと、今いったような次第です。

 アメリカの野心を阻止できる力というのは、ソ連もその一つではあったけれども、朝鮮、キューバ、ベトナムにもあったんだと考えないとソ連の過大評価につながっていくと思います。フセインの軍隊というのはもろくも崩れ去ってしまったことと、人民の軍隊、人民の戦争というベトナムの状況を比較してみますと、ソ連の存在と国際政治とを考える上で大きなヒントをえられると思います。

ソ連の崩壊が国内に与えた影響


 さて、ソ連の崩壊が、旧ソ連の国民にどういう影響をあたえたかということですが、ここに、中村逸郎さんという方が書いた『ロシア市民―体制転換を生きる』(岩波書店)という本のなかかから紹介したいと思います。中村さんは最近ロシアを旅行されて、モスクワの市電に乗っていたんですね。そしたら、生活に疲れたような乗客がぶつぶついっている。それを聞くともなく、聞いていると、「本当に生活がひどい。こんなひどい状況はそんなに長くつづくはずがない」といっています。普通だったら、もっとよくなることもあるだろうとなるのですが、どう聞いても、「もっと、わるくなるだけさ」というのです。こうした一種のあきらめ気分といいますか、自暴自棄、お先真っ暗というなかで飛び出してきたセリフだと思いますが、それにしてもロシアの市民の心情をよくいいあらわしていると思います。

 ロシアでは体制転換といっていますが、いわゆる旧ソ連時代の社会主義経済から市場経済への移行のなかで、主役になっているのがニューリッチ――いわゆる新興財閥です。だれが、ロシアのあたらしい資本家になっているか? なかには一攫千金でなった人もいますが、大半は旧ソ連のお偉方、ロシア語でいうと、ノメンクラトゥーラです。

 ノメンクラトゥーラというのは、直訳すると「特別に任命によって決める職名」、ポストですね。国会議長とか、図書館長とか、郵便局長とか、党の最高機関が決定する特定の国家機関の職名の一覧表という意味です。そのお偉方はですね、たとえば国会議長ですが、国会議員が選挙で決めることになっていますが、最初から決まっているわけですよ。候補者が一人しかいない。その候補者をだれにするかは党が決める。選挙で選ぶのは憲法的、法律的な規定ですが、それ以上に党のしきたりが優先して、これを任命で決める。かつて、おおかれ、少なかれ、党のおめがねにかなったお偉方のなかで、目先が利いて、変わり身が早い人人が、新興財閥となっています。

 それだけでなく、一九九一年にソ連が崩壊した前後から、国有財産の払い下げがおこなわれます。明治政府が官営工場を財閥に二束三文で売却しましたね、それと同じことであります。

 いまロシアで勃興しつつある資本主義は、下からの富を徐々にえいえいとして蓄積していくという牧歌的な資本主義ではなくて、上の権力を利用した、しかも相当汚いかたちで利用した資本形成であります。資本主義というのは、もともとそんなに穏やかな状況のもとで発展してきたものではなく、国家機関と結託した大商人、大地主、大工場主が国民、農民、外国の植民地住民の血と脂を搾りあげてできたんですが、ロシアの資本主義もそうです。それをノメンクラトゥーラ資本主義とロシア人はいっています。

 なるほどサンクトペテルブルグやモスクワは中心街はにぎわっていますが、一歩外へ出ると、あるいは一歩外に出なくても、あちこちに露天屋が店を広げています。正確に調査しておりませんけれど、工業、建設関係の設備投資はずっと停滞しております。儲けているのは、金融業、株式、商業、貿易、銀行などです。ノメンクラトゥーラ資本主義は基本的に金融資本主義ですね。まがりなりにも、ペテルブルグなどの大工業都市では資本家が成長しつつある。しかし、ちょっとでると非常に原始的な形態です。
 第二次世界大戦後の日本でも物々交換がはやりました。そういうような原始的な資本主義です。そのなかで、おおくの庶民が将来に希望をもてなくなっていることが確認できると思います。

(つづく)

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