メインメニュー
このサイトについて
話題のテーマ
出版物紹介
アクセスカウンタ
9541496

2235 :昨日
1355 :本日
会員専用ページ・ログイン
ユーザ名:

パスワード:


パスワード紛失

新規登録
投稿者: rodo-info 投稿日時: 2014-8-10 9:01:43 (768 ヒット)

『革命の子どもたち』を観て





評者 前田力


 開演前のテアトル梅田には高齢者の方々多くみられ、扇子を手にしながら開場の案内を待っていた。この映画には官憲の目が光っているとさえ噂されていたみたいだ。

 映画は1968年、学生たちによる革命運動のうねりのなか女性活動家として名を馳せた重信房子(元日本赤軍リーダー、現在服役中)とウルリケ・マインホフ(ドイツ赤軍リーダー)。ベトナム戦争の虐殺に戦慄した彼女たちが世界革命による資本主義勢力の打倒を目指して赤軍を率いて活動した時代記録と二人の娘、重信メイとウルリケ・ロールが悪名高きテロリストと呼ばれた「母」の生きた時代と、自らの置かれてきた境遇を語るドキュメンタリー映画である。

 本作の日本上映について監督シェーン・オサリバンは「1960年代後半に日本で強まった抗議の精神について、またそのエネルギーがどこに消えてしまったのかを日本の若い世代が考える助けになればと望んでいます」と語っている。

 1960年代、「日米安保反対」闘争の高揚。搾取と支配からの解放を目指して、日本の未来を多くの人々が語り合った時代であったと思う。こうした真摯な活動は私が働き始めた1970年代へと受け継がれていた。労働組合の中でも日本社会を、真の民主主義を語りあいストライキを経験した。

 70年代のジグザグデモとシュプレヒコール、どこまでも続く赤旗の行進、春闘でのストライキ、日本社会を資本主義の支配から解放するのだというエネルギーが充満していた。武装闘争や世界革命が叫ばれるなか学生運動の中では火炎瓶闘争などその過激さがまして、労働運動との亀裂を増していくこととなる。

 映画を観ながらドイツ赤軍の存在さえ私は知らなかった。日航機「よど号」ハイジャックやテルアビブ空港乱射事件、ドバイ日航機ハイジャックなどのニュース映像は若かった私の脳裏に焼き付いていたものもあった。赤軍の武装闘争はドキュメンタリーとして映し出されるが、テロの後のシーンでは見ていて身体の芯がむずむずして何度も足を組み直して見なければならないほど凄惨な場面も映し出される。

 娘たちの証言も革命家の子どもとして命の危険にさらされながら母たちがどう子どもたちと向き合ってきたのかを語る。しかし、その多くは重信メイの証言がほとんどで、ウルリケ・ロールが母についての思いを強く語らなかったことも気になった。ドキュメンタリーとして、監督のメッセージと映画にギャップを感じる。それは映画が娘たちに語らせてはいるが、私たちに「あなたはなぜ日本社会の未来を語るのをやめたのか」と突き上げるメッセージがなかったからではないだろうか。
 
 少しはばかり後味の悪さをかみしめながら映画館をでた。時代の証言者。戦争の悲惨さを語り継ぐ語り部が少なくなってきたが、私も革命への高揚と民主主義への闘いを語り継ぐ世代になったのかと考えさせられた。どんよりとした夏の雲が私の心におおいかぶさっている。

 上映会場は下記を参照ください。 
    ↓
 映画『革命の子供たち』公式サイト
 


投稿者: rodo-info 投稿日時: 2014-5-30 23:30:00 (883 ヒット)

コラム【充電視点】映画『60万回のトライ』を観て





前田力


 『60万回のトライ』を京都の友人から一緒に見に行きませんかと誘われた。気になって調べてみたら大阪でも上映されていたので日曜出勤のあと夜の部を見に行った。上映後に共同監督の朴思柔(ぱく・さゆ)朴敦史(ぱく・とんさ)氏の挨拶とひと時の交流というサプライズがあった。

 映画は2010年1月、高校ラグヒーの聖地である東大阪市の花園ラグビー場。全国大会の準々決勝を迎える朝鮮高級学校ラグビー部の熱い思いと闘志をつづったドキュメンタリー映画だ。

 ただ、このドキュメンタリー映画が観た人にその判断をゆだねるという普通のドキュメンタリーではなく、明らかに朝鮮高級学校サイドから見た映画だということだ。朝鮮高級学校に対する橋本大阪府知事の高校無償化や補助金のカットという学校存続の危機にありながら、ラグビーにかける朝高生の青春。だからと言って日本社会に対する鋭い切込みや痛烈な批判が前面にあるわけではない。

 わたしが一番考えさせられたのは呉英吉(お・よんぎる)監督の部員たちへの授業風景だった。

 「我々がやっているスポーツは社会を変える。社会を変える大きな力がある。……日本人たちが私たちをどう見ているのか、大阪朝高をどう見ているのか。その印象をスポーツを通じて変えさせる。難しい言葉だかそれが私たちの『使命』だ。」

 ひたむきにボールを追う部員たちに課せられたあまりにも大きな「十字架」私にはそんな言葉でしか表現できない重い使命だ。

 高校ラグビーや高校サッカーの全国大会への出場さえ認められなかったとき、日本の教師たちは全国大会への出場の門扉を開くように粘り強く取り組んできたことを呉英吉監督は部員たちに聞かせる。そしてその門扉は開かれた。歴史は動いたのだ。

 日朝友好や日朝共闘を取り組んできた日本の組織は拉致問題を認めた時から退潮を余儀なくされた。それでも日本社会のなかにおかれてきた歴史的な「在日」への不平等、不理尽への理解者が運動を継続し社会を変えてきた事を事実のから伝える。

 この映画を観るのには「日本人からの意識」が問われている。南北に分断された朝鮮半島、北の脅威や拉致問題を取り上げるマスコミに心無い日本人は揺り動かされる。身近な隣人の声に耳を傾けることを拒み、誹謗中傷の悪罵さえ投げつけてしまう。

 監督は「コマプレス」小さな声・低い視線もモットーに在日のことを発信している。

 小さな声に耳を傾けるとき、わたしたちの社会が私たちが何をなすべきなのか見えるのかもしれない。

映画はドキュメンタリーの形だが楽しさを忘れていない。肩を張らずに楽しみながら観るのが監督の望みかもしれないことを追記しておこう。上映期間はあとわずかだが足を運んでみてはいかがですか。

上映予定はこちら ↓

[url=]映画「革命の子供たち」公式サイト[/url]


投稿者: rodo-info 投稿日時: 2014-3-29 22:52:11 (806 ヒット)

労災保険





社会保険労務士 繁田 哲夫





 やはり労災保険は、必要です。

 労働者災害補償保険法、つまり労災保険は、労働者が業務や通勤によって、けがをしたり病気になった場合。またこれが原因で、死亡したり障がいが残った場合に、被災者や家族が保障を受ける制度です。
 しかし、日本の企業の7割を占める、中小零細企業のなかには、この保険に加入していない、あるいは加入できない企業がたくさんあります。

ある事例の紹介


 知り合いの弁護士の先生に、郵便輸送労働者の集会を開催する際、均等待遇問題について講演を依頼するために、事務所を訪れました。
 そのとき弁護士の先生から「ちょっと聞きたいことがあるんですが」と言う会話になりました。
 
個人事業主で従業員が5人未満なら


 ある労働者が高次脳機能障がいとなりました。この労働者は、零細の食品加工業に勤務していましたが、どうも仕事中に倒れたのが原因で発症したみたいです。
 労災支給決定の上で、業務起因性(仕事が原因で発症した)、業務遂行性(仕事中に発症した)と立証は必要十分条件です。
 この企業は、従業員5人未満の個人事業主ですが、農林水産業ではないので労災保険は強制加入です。しかし、この事業主は労災保険に未加入でした。高次脳機能障がいだと、軽くても障がい等級3級ですがこの支給はありません。

ではつぎの救済処置は?


 労災保険が出ないとなると、次は年金はどうかということです。
 年金も、厚生年金保険は従業員5人未満の個人事業主は、任意加入。
 「では国民年金に加入されていますね」と聞きましたが、返事は「保険料、払っていないみたいです」。
 ありゃ〜これはやばい。




投稿者: rodo-info 投稿日時: 2013-8-31 23:26:14 (671 ヒット)

映画『終戦のエンペラー』を観て






原作: 岡本嗣郎(「陛下をお救いなさいまし 河井道とボナー・フェラーズ」)
評者:前田 力


 それにしても暑い夏だ。お盆が明けて映画『終戦のエンペラー』を観に行く時間ができた。平日の昼間だったが高齢のご夫婦が多いように見受けられた。

 歴史の事実は見る角度によって、語り部よって違う話になってしまうのと言うのが実感だ。

 映画は「玉音放送のなされた8月15日から、8月30日のマッカーサー来日、そして9月27日、天皇のマッカーサー元帥訪問に至るまでが取り上げられている。

 マッカーサー元帥が命じた「天皇の戦争責任について10日間で調査しろ」という『極秘指令』の報告結果が戦後の日本の行く末を決定づけたとして描かれている。

 焼け野原の東京を眼下にマッカーサー元帥は厚木基地に降り立つ。副官として来日したボナー・フェラーズに「戦争責任は誰にあるのか、天皇の戦争責任を問う証拠を10日間で調べ上げて来い」との命をくだす。フェラーズは親日家であり日本文化にも傾倒している。東京裁判にかけられる政府要人との接触を慎重に進めながら開戦に踏み切らせた軍内部の動向や、天皇の動向を探っていく。

 その中で陛下は開戦には賛成していなかった。日本中が戦争に酔っていたと東京裁判にかけられた被告たちに語らせる。

 海の向こうに新しい未来を描いて「大東亜共栄圏」という夢に向かって酔っていたのも事実であろうし、戦争に勝つこと、その向こうに貧困からの脱却と繁栄が叫ばれていたことだろう。

 連戦連勝から敗北と撤退、撃ちつくす弾が無くなるまで戦わされた兵士たち。そしてすべてを失った。焼け野原に立ちつくした人々、戦中よりひどい苦しみを背負って生きぬかなければならなかった人々。そのやるせない怒りはどこに向けられたのだろう。

 まだ、国内には200万人を超える兵力がありながら「耐えがたきを耐え、、、」の玉音放送で降伏をさせた天皇の威信。

 天皇を生かすことが日本を支配するうえで有効であった。少なくともアメリカ占領軍は玉音放送の『命』をもってそう判断した。

 映画は何か新しい史実でも見せてくれるかとおもったが何もなかった。天皇がマッカーサー元帥を訪問するシーン。天皇が自らの言葉で「すべての責任は私にある」というくだりがあるが史実かどうか定かではない。しかしそう描かれたことを観ても、現人神となった天皇を賛美しているようにしか見えてこない。

 そう思うと史実の語り部から何を学ぶのか、聞き手の視点が大きく問われているような気がしてくる。『はだしのゲン』が残酷な描写があるから貸出制限図書にしたとか言いながら、TVゲームでは子供たちが戦闘と殺戮シーンに熱中しても公共機関が企業に制限を加えたことはない。

 この国の何かが大きく狂ってきているように思えてならない。

 改憲論議が、憲法解釈が大きく論ぜられる時に自国の利益や権益の擁護という開戦前夜の言葉がまことしやかに飛び交っていることに空恐ろしくさえなる。映画の感想から少し話がそれたかもしれないが、映画と言う文化でも天皇制に対する新しい切り口をもった作品を期待したいと思う。


投稿者: rodo-info 投稿日時: 2013-6-26 22:00:00 (826 ヒット)

日本が人が壊される実態を把握
戦略・提言はこれからの課題




ブラック企業 〜日本を食いつぶす妖怪〜

著者:今野晴貴

評者:前田力



 

 雑誌の『ワーカーズレポート』のWEB移行に伴う最終号で浅井リョウの『何者』をとりあげた。『何者』を読んだ時に就活生の間でささやかれる「ブラック企業」という聞きなれない言葉が気になっていた。何となく「胡散臭(うさんくさ)い企業、一流企業でない企業」という想像が頭の中に浮かんでいだ。

 普段はあまり「新書コーナー」に立ち寄ることもなく小説のコーナーに向かうのだが、ふと「ブラック企業」のタイトルが目についた。作者は今野晴貴、NPO法人POSSE代表であり、数多くの若者の労働相談を中心に活動するなかで調査や分析をしているようだ。

 著者は「ブラック企業」という言葉がリーマンショック後に現れた造語であること、それ以前はバブル崩壊後の「フリーター」「ニート」と呼ばれる主に非正規社員の雇用問題が社会的な問題として取り上げられてきたが、「ブラック企業」は新卒が掴みえた正社員の問題であることが大きな違いだと指摘している。

 就活という競争を勝ち抜いてやっとたどり着いた正社員、そんな彼らを待っていたのは、正社員を篩(ふるい)にかけて選別する「ブラック企業」の手口だった。定員以上に採用し、企業にとって従順な社員を育成するという洗脳教育と、企業にとって「使えないやつ」をコストとみなし、人間としての人格を破壊してでも自己退職に追い込むというものだ。一流企業と言われる枠からはみ出した彼らは、企業の方針についていけないのは自分が悪いからだと思いこまされると言う。「自分は人より劣っている。」「会社の方針についていけない自分が悪い。」そう思いこませれば、ひたすら耐えるか辞めるしか選択肢は無くなってしまう。

 長時間労働は当たりまえ、パワハラ、自己退職に追い込むためのカウンセリング室まで用意されていて、人間としてなっていないのは幼少期に問題があると反省文を書かされる。数時間に及ぶ研修と言う名のハラスメントが毎日続き精神的にも不安定な状況に追い込んでいくのである。しかしこうした実態がなぜ表面化しなかったのか。それは自己都合退職に追い込むことによって社会的批判から逃れると言う手口をブラック企業がとっているからであるという。今年は自殺者が何年かぶりに3万人を切ったと言うが、20代から30代の若年層の自殺者が増えているのとも無関係でないように思えてきた。

 また著者は雇用問題と労働契約の問題が日本社会のなかで培われてきた労働運動の闘いと結びついていると分析している。企業側にとっては労働組合の闘いによる労働条件改善の要求に終身雇用という暗黙の了解で応えながら企業の人事等の命令権を維持してきたし、労働者側も譲歩してきたのではないかと言う。しかし、労働運動が弱くなる中で企業の命令権だけが強くなっていると現状を見ている。

 著者はこうしたブラック企業に対して若者を中心とした労働者が戦略的思考をもって対応をしなければならないし、ブラック企業が単に一企業の問題でなく日本を食いつぶす妖怪としてとらえ社会的問題として政府も取り上げるべきだと提言している。

 しかし、提言と戦略的思考ということにしては非常に弱いような気がする。

 第一に政府として、企業の業務命令権を制約する。労働市場政策としては非正規雇用規制が必要であるといい、戦略的思考とはブラック企業の証拠をつかみ、提訴や団体交渉に訴えるということである。

 また、社会的な戦略としてブラック企業は労使関係の崩壊の間隙をぬって現れたのであれば、労使関係の再生こそが新しいモデルになる、企業別組合の枠を超えた新しい労使関係を構築することが私たちの世代に求められていると結んでいる。

 年間数百件の相談を抱え、提訴や団体交渉を進めてきた著者ならではの提言であり尊重すべきだとは思うが、具体的な提言としては弱く感じる。

 しかし今日、ブラック企業化が公務員企業にまで及んでいること、それに向かって闘えなくなれば企業だけでなく日本が、人が壊されてしまうと言う事実はよく把握できた。私たちの職場でもパワハラ問題がよく告発される様になってきた。運動が弱くなれば経営者は強くなると言うのがバロメーターにならぬよう戦略的な対応を考え、組織運動として組合員と話し合いたい。





(1) 2 »
検索
テーマ別の記事(選択してください)
テーマ別の最新記事
[ HOME ] [ NEWS ] [ BBS ] [ DOWNLOAD ] [ LINK ] [ FAQ ]