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投稿者: rodo-info 投稿日時: 2013-7-2 22:00:00 (680 ヒット)

日本の孤立が始まっている





半木 智


  6月28日付の朝日新聞にこんな記事が載っていました。「本紙投稿者に嫌がらせ」。朝日新聞の投書欄に文章が載った人達の住所や電話番号がネットに流れ、嫌がらせを受けているというのです。

 記事によると、嫌がらせを受けているのは憲法9条を守りたいなどというリベラルな意見の人達です。これらの嫌がらせに共通しているのは、自分が誰であるかは名乗らない、論理的な意見ではなく脅し文句や悪罵だけを投げつけるという事です。卑怯者という他はありません。

 「これらの人達」と一括りにしてはいけないのでしょうが、ネットやその他で散見する反リベラルな人達を見ていて私が疑問に思うのは、韓国や中国にはあれだけ敵意をむき出しにしながら米国には極めて寛容な所です。戦争に負けて60年以上も経つのに相も変わらず占領軍そのもののような態度で居座り続ける米国に腹は立たないのでしょうか。これは石原慎太郎氏などにも言える事で、「NOと言える日本」などと力んでみても、あの人が米国にノーと言うのを聞いた事はありません。

 ついでに言っておきますが、あの人は保守主義者ではありません。安倍総理も同じですが、在日米軍をはじめ様々な問題はあるにせよ、戦後六十数年、基本的に平和で豊かであった国の理想主義的憲法を強引に変えようとする彼らの行動は保守のものではありません。彼らの急進的、短絡的言動は『右翼的』と呼ばれるべきです。保守はもっと知的で穏やかな存在です。

 彼らの言動により、中国は対抗姿勢をあらわにし、韓国の新大統領には冷たくあしらわれ、米国にすら「国益を害する」と評され、せっかく首相が訪米しても晩御飯も振る舞われませんでした。日本の国益をも損ねている事が解っているのでしょうか。

 国内でしか通用しないサンフランシスコ条約違反の言説を垂れ流し、その一方で、米国のお先棒を担いでいるつもりの中国敵視政策で外交は十分だと考えているのだとすれば本当に取り返しのつかない事になります。今年に入っての米中韓の首脳の動きを見てください。日本の孤立が始まっています。


投稿者: rodo-info 投稿日時: 2013-6-16 0:00:00 (685 ヒット)

主権在民の理念を骨抜きに: 支配層が国民統制の道具として天皇を政治的に利用するための「元首化」






 自民党の日本国憲法改正草案(平成24年4月27日決定)でひときわ違和感を覚えるのは、天皇の元首化である。

 そもそも「元首」とは、いろいろな考え方があるにせよ国際法上は外部に対して一国を代表する資格をもつ国家機関のこと、国家権力の最高権限を掌握したもののことである。それゆえ天皇の元首化は天皇に政治的権限を与えることにもつながる。

 日本国憲法の原則でもある主権在民は、正当に選挙で選ばれた人を国政の代表とすることによって担保されている。それを国民の選挙ではなく世襲制により受け継がれる「天皇」という地位をもつものを最高権力者の地位に置くこと自体、主権在民の理念に矛盾し、その理念を踏みにじるものである。


真の狙いは何か

 日本では国民の生活や経済活動において、現在の天皇「象徴」制に特段の不都合も生じていない。それにも関わらず、わざわざ「象徴」から「元首」へ変更しようという狙いは何なのであろうか。

 それは、支配層が天皇を政治的に利用するためにほかならない。

 例えば、9条2項の削除と集団的自衛権の行使を可能とする条文の追加である。これによって他国との戦争を可能とすることになる。どんな戦争でもそうであるが、その真の目的はその国の支配階級の利益追求のみである。国民を守るためとか、家族を守るためとかというきれいごとが目的ではない。

 しかし現在の日本国民に対して、支配層や資本家のために戦争にいって死ぬ覚悟で戦えと言ったところで、国民が従う何のモチベーションにもならない。そのために憲法の条文により天皇の権威を明確にし、国民の精神を屈服させることこそが天皇元首化の真の目的である。今でも日本で天皇制を批判することはタブー視されている。天皇の元首規定が明確になると、ますます天皇の声に逆らうことはできなくなり、国民は沈黙のうちに無条件に従うしかない状況が生まれるのは明らかである。

 支配層やそれに依拠する政治家にとってこれほど都合のよいものはない。彼らのやりたい政策、特に国民に受け入れられそうもない政策を天皇に語らせればそれで済むからである。彼らは、天皇を尊んで元首化を求めているのではない。天皇を便利な政治の道具として利用することを狙っているのである。

 天皇の元首化が、君主制から共和制へという歴史の流れに逆行するものとして批判的にとらえようとする意見もよく聞く。しかし、この論点は問題の本質をそらす危険性がある。天皇の元首化は君主制の復活を目的としているのではなく、歴史的に成熟した現代資本主義において資本家階級を代表する支配層が国民統制を目的としているということを認識しなければならない。


私たちには主権在民を守り抜く気概が必要

 私たちがよく考えなければならないことは、民主主義や主権在民といった制度や理念は、私たち一人ひとりが自分たちの進むべき進路を自分たちで考え行動し決めていくということに他ならないということである。本当は国会に全国民が集まり意見を出し合って決めていけばよいのであるが、それは現実的ではない。そのために自分たちで選んだ代表を通して、それを実現することで民主主義や主権在民の制度や理念を担保しているのである。国民は代表を選ぶときに1人ひとりが大いに議論すればよいということになっている。これは一見当然のことと思われるが、実は非常に労力のいる作業なのである。

 現代社会では、多くの人々は夜遅くまで仕事や子育てそして介護などに追われ、睡眠時間や自分の時間を見つけるのも難しい状況になっている。時間的な余裕がないのである。このような状況では、わざわざ時間をとって政治や様々な制度について真剣に考えてみようとか、他人と意見交換したり議論したりする場を設けようという気力もおこらないのが現実である。新聞記事を追いかけるのがやっとのことだという人も多いのではないだろうか。

 そうすると人間は人任せになってしまう。そして、自分たちの声を実現してくれそうなカリスマを求めて本来自分たちでやらなければならないことを丸投げして安心してしまうのである。これは自ら民主主義や主権在民を放棄することでもある。しかし、カリスマを求めてしまう人が悪いのではなく、カリスマを求めざるを得ない時間的余裕のない生活環境を作りだしている社会制度に問題があるのである。

 私たちは、「天皇」などをカリスマとして求めることのないような余裕ある生活環境を作り出す運動を展開することも重要である。同時に民主主義や主権在民を守り抜くためには自分たちの進むべき進路を自分たちで考え行動し決めていく責務があるという自覚をもつ必要がある。


改憲は主権在民理念破壊の始まりである

 私たちは、直接生活にかかわるルールである法律や条例については気に掛けることが多いが、憲法については深く考える機会をもつことは少ない。しかし、想像していただきたい。今回の自民党改正草案のような改憲内容を許してしまえば、現憲法下で制定されてきた主権在民を擁護する法律が一気に主権在民を制限するものへ改定されていくことになるということを。私たちは、そうなってからでは取り返しがつかないということも肝に銘じなければならない。



投稿者: rodo-info 投稿日時: 2013-6-14 0:00:00 (599 ヒット)

基本的人権もないがしろに: 「公共の秩序」の名のもとに基本的人権に制限を加える






 大衆に奉仕すべき国会議員の一部に、「熱狂的愛国心」のあまり民族蔑視や弱者軽視の論調を振りまき、国論を煽っている者がおり、その結果として独占資本が追求している「国益」を自ら放棄するまでになっている。しかし、国粋主義者の舌鋒は衰えをしらず、その一方的な独自の理念に基づいて、某政党はじめさまざまな右翼民族主義者がマスコミなどに登場している。

 真実だと信じて、反論する他者を誹謗中傷することはまぁ、よくあることである。両者が冷静である場合は互いに論議して誤解を解き、非礼を反省すれば良い。

 しかし、国会やテレビなどでしゃべっているだけならまだしも、言論や表現の自由を盾にして、全くの他人である他民族の商売人や子ども、老人を侮辱して殺人宣言の脅迫をやるまでに上り詰めている市民団体がある。インターネットを利用して勢力を拡大し、過激な排外主義の街頭行動をとっており、見たところオルガナイザーはごく一部で、多くの人は「サヨクがキライ」あるいは日頃のウップンばらしで集まっているようだ。この人たちは民主的で進歩的な社会運動に対して敵意をむき出しにし、突然抗議行動現場に現れては拡声器でもって罵詈雑言をあびせ、質問攻めにし、撮影した映像をネットにながして晒すという嫌がらせの手法をとっている。冷静になって話し合うことはとても期待出来そうもない人たちのようだ。


公、オオヤケにもいろいろある

 人の尊厳を暴力的に踏みにじることは諸外国ならば露骨な人権侵害行為は犯罪として扱われるが、日本において立場の弱い人たちへの言論の暴力に立ち向かうすべは無いものだろうか。最近はうれしいことに、レイシストへの抗議活動が盛んになりつつある。多少の問題も見受けられるが、ヘイトスピーチに耐えられない人々が立ち上がっていることはまちがいない。

 そこで憲法の話であるが、「強く主張する人には対極側にも防御するにたる言動の権利」もあるのだから、この互いの権利同士がぶつかればどうなるか。衝突すれば「個人の人権がどれぐらい侵害されているのか」の公平公正の上で、「公共の福祉」という最小限の制約を認める事によって基本的な権利を保証する機能が憲法にある。人数が多い方が有利だとは一概にはいえないことを肝に銘じなければならない。

 その「公共の福祉」をどのように解釈できるかと言えば、憲法第13条にまつわる条文を自民党が示している改憲案と比較することで明らかとなる。

 現憲法は「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」と述べている。ここでいう「公共の福祉」とは、憲法で認められている個々人の権利と権利が衝突した時に、相互に調整するするための基準となるものである。

 ところが自民党案ででは、「全て国民は、人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公益及び公の秩序に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大限に尊重されなければならない」となる。

 さらに第21条の表現の自由に至っては「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は保障する」が、第2項では、「前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない」としている。

 これは、政府や国家が「公益及び公の秩序」の名のもとに、基本的人権を制限する法律を作って、これを実行することを可能にするものである。


強権発動も可能に

 与党の改憲案で注意すべきもう一つの問題に、労働組合やNPO、人権保護など社会活動を行っている人々に非常に危険と思える条文がある。

 第9章の「緊急事態(緊急事態の宣言)」である。「第98条 内閣総理大臣は、我が国に対する外部からの武力攻撃、内乱等による社会秩序の混乱、地震等による大規模な自然災害その他の法律で定める緊急事態において、特に必要があると認めるときは、法律の定めるところにより、閣議にかけて、緊急事態の宣言を発することができる」ものとされる。まさに「破壊活動防止法(破防法)」の適用そのものである。

 国会議員を含む熱狂的愛国者の策動により、例えば「河野談話は誤りである」と一度結論づけられれば、当該国の民衆や良心的大衆が「謝罪と賠償」を日本国内で要求する行為が「公益及び公の秩序に反する」と判断され、抗議運動にまで発展せずとも一方的に「社会秩序の混乱」にあたるとして断罪され、逆に「日本から出て行け」を大合唱する輩はほめられるかもしれない。

 憲法の基本は主権在民で、あくまでも国家の意向から個人の権利を守るものである。また、人権とは「すべての人間が生まれながらにして持つ人間としての権利」のことであると書かれてある。しかし、政治・経済の情勢によってなにが「公益」「公の秩序」となるのかを決めるのは国家の支配者のみだから、「多数のために個人が犠牲になること」を美徳とする秩序がまたもや生まれてくるやもしれない。我々一般大衆が団結して理不尽な改憲を阻止する力を持つ以外に真の人権はない。


投稿者: rodo-info 投稿日時: 2013-6-12 0:00:00 (653 ヒット)

★平和主義の放棄: 日本を「戦争ができる国」に変え、アメリカが引き起こす戦争に動員







 自民党の憲法改悪の最大の狙いは、現憲法の「平和主義」を放棄し、日本を戦争ができる国へと変え、アメリカが世界各地で引き越す戦争に日本の軍隊を動員することにある。


前文から平和主義を一掃

 自民党の改憲案では、憲法の前文のところから、平和主義の精神をばっさり切り捨てている。

 現憲法前文では、「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し」と政府の戦争責任を明確にしているのに対し、自民党案の前文では、「我が国は、先の大戦による荒廃や幾多の大災害を乗り越えて発展し」と政府の責任は削除され、戦争と自然災害が同列に並べられている。

 現行憲法では、平和主義について前文の約半分を使って、次のように述べている。

 「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に 除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。」

 文字数にして358字。

 これに対して、自民党改憲案の前文で「平和主義」に触れているのは、「我が国は、先の大戦による荒廃や幾多の大災害を乗り越えて発展し、今や国際社会において重要な地位を占めており、平和主義の下、諸外国との友好関係を増進し、世界の平和と繁栄に貢献する。」と、たった88文字である。

 だらだらと平和主義を長く書けば良いという問題ではないが、平和主義の理想への態度、熱望、政治的立場が文字数にあらわれている。


将来の武力行使を可能に

 自民党案では、9条が含まれる第2章タイトルが「戦争の放棄」から「安全保障」に変えている。

 そして9条1項。現行憲法では、「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する 」となっているが、自民党改憲案では、最後の部分の「永久にこれを放棄する」を「用いない」に変えている。

 つまり、国際紛争を解決する手段として戦争や武力行使は「用いない」ことを原則とするが、「永久」にではなく、将来的には「用いる」こともあるということである。
 
 さらに、現憲法9条2項の「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」を削除し、「前項の規定は、自衛権の発動を妨げるものではない」に変更し、「9条の二」を新設して、「国防軍」について規定している。


多国籍軍への参加を容認

 9条の二・第3項では「国防軍」の任務として、自衛だけでなく、「国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活動」をおこなうとしている。これこそ、多国籍軍への参加を意味している。それは、アメリカが全世界で引き越す戦争に参加するということである。

 日本は「憲法9条の制約」があるために、イラク戦争のときも、アフガン戦争のときも、自衛隊の参戦をことわることができた。しかし自民党の改憲案が通れば、アメリカの要求があれば、こうした戦争に「国防軍」を参加させることができるようになるのである。


治安出動も

 改憲案9条の二・3項では、国防軍の任務として「公の秩序を維持し、又は国民の生命若しくは自由を守るための活動」もあげている。これは、「治安出動」である。1960年の安保闘争のように大規模な抗議行動、大衆闘争が激化すると、国防軍が直接弾圧に乗り込んでくることを意味する。

 9条の二・4項では「国防軍の組織、統制及び機密の保持に関する事項は、法律で定める」と規定している。これは、何度か法制化が検討され、実現していない「国家秘密法」の制定を前提にしている。これは、「国防軍」に関して国民の知る権利、表現の自由に対する広範な制限を容認することになる可能性が高い。

 9条の二・5項では「国防軍に属する軍人その他の公務員がその職務の実施に伴う罪又は国防軍の機密に関する罪を犯した場合の裁判を行うため、法律の定めるところにより、国防軍に審判所を置く」としている。普通の裁判所とは別に軍法会議を置くということである。

 自民党の改憲案に関する「Q&A」によれば、「軍事上の行為に関する裁判は、軍事機密を保護する必要があり、また、迅速な実施が望まれることに鑑みて、このような審判所の設置を規定しました」としており、「裁判官や検察、弁護側も、主に軍人の中から選ばれることが想定されます」としている。つまり、裁判官も検察も弁護側も軍人で即決裁判がおこなわれる仕組みである。

 ここで注意しなければならないのは、軍法会議にかけられる対象者が「国防軍に属する軍人」だけでなく「その他の公務員」も入っていること、罪状も「国防軍の機密に関する罪」だけでなく、「職務の実施に伴う罪」まで入っていることである。つまり一般公務員が職務上で何かの犯罪の容疑がかけられた場合、まずは軍法会議で裁かれる可能性もあるということである。

 9条の三では、「国民と協力して」領土・領海・領空の保全、資源の確保を行うとしており、国民総動員体制が取れるようになっている。これも、「戦争ができる国家」にしていくための体制作りといえるだろう。



投稿者: rodo-info 投稿日時: 2013-6-10 12:00:00 (806 ヒット)

憲法の3原則を根本から改悪する自民党改憲案






 先の衆議院総選挙で大勝した自民党は昨年、2005年以来懐で暖めてきた、日本国憲法の「改正案」を明らかにした。来る衆議院選挙でも大きな争点の一つとなろうとしている。

第二次安倍内閣の経済政策ばかりが問題にされるが、憲法「改正案」は、非常に危険な要素を含んでいる。

 「労働通信」サイトでは、今回から4回にわたり、自民党改憲案について検討してみたい。

 ・憲法の3原則を根本から改悪する自民党改憲案(2013年6月10日)
 ・日本を「戦争ができる国」に変え、アメリカが引き起こす戦争に動員(2013年6月12日)
 ・基本的人権もないがしろに(2013年6月14日)
 ・主権在民の理念を骨抜きに(2013年6月17日)

そもそも日本国憲法とは?

 日本国憲法は、第二次世界大戦で日本が敗北した結果、GHQによる戦後改革の一貫として行われた。

 農地改革による地主制度の廃止と自作農の育成、財閥の解体などがやられたが、国家の基本姿勢である憲法を今までの姿で放置することは、もちろんできなかった。

 天皇元首制、限定された国民の権利、議会を超越した軍の存在などが、日本を軍国主義に導いたと、GHQは判断した。新憲法に関しては、近衛試案、松本試案などがあったが、いずれも国体護持、つまり天皇の地位を安泰させることを中心においていたので、採用されず、結局GHQ自らが憲法草案を作成した。

 この草案は、大日本帝国憲法の改正という形で、衆議院、貴族院、枢密院に提案され、可決された。

 刑法は犯罪を犯したものに対してどう対処し具体的な罰を与えるかを明記している。

 民法は人と人との関係(家族、相続、契約など多岐にわたる)を明文化している。これらの法律の対象は、個々の人を対象にしているが、憲法は個人を規制の対象にするのではなく、国家そのものを対象にして、ある意味で枠を設けているのである。


歴史の中で作られた憲法の理念

では、日本国憲法の理念や基本構造は、何なのだろうか。

 憲法の基本原理は、ヾ靄榲人権の尊重、⊆膰∈潴院↓J刃村腟舛裡嚇世任△襦
 このうち1と2は、日本の特殊事情から生まれたものではない。

 基本的人権の尊重は、イギリスの名誉革命、ピューリタン革命やフランス革命、アメリカの独立宣言など、ルソーやロックなどの啓蒙思想家が打ち立てたものである。

 基本的人権とは、日本では20世紀になってやっと確立された人間としての当然の権利(人は生まれながらにして平等である)が基本原理である。この理念に基づいて、新興勢力であったブルジョアジーは封建身分制度を破壊していった。そして国家を統治するのは一人の国王や皇帝ではなく、国民であり、国民が平等に政治に参加することを保証したのが主権在民である。 

こうした歴史的な闘争を経る中で、基本的人権、主権在民は確立されてきたが、この2つの憲法の基本原理を否定することは、ある意味で人類の歴史を否定することにもなりかない。


勘違いしている自民党

 しかしながら、自民党の論調を見ると、この歴史の積み重ねを否定することを公言しているように思える。片山さつき議員は「天賦人権説はおかしい」と発言している。天賦人権説の対極にあるのが「王権神授説」=つまり皇帝の権力は、神様がくれたものという考え=である。だが、片山議員は、自分が国権の最高機関である国会の議員であることを忘れたのだろうか?

 もっと傑作なのが、京都選出の西田昌司議員である。彼は、「そもそも国民に主権があること自体がおかしい」と発言している。では、あなたは誰に選ばれたんですか? ということになってしまう。

 平和主義は、第2次世界大戦を引き起こした反省から生まれたものである。自民党は昔から憲法九条の改正を唱えてきた。今回の草案では「国防軍」の創設、集団的自衛権の発動まで明記している。現段階では「徴兵制」にまで踏み込んでいないが、いつでも戦争できる体制に持って行くことに間違いはない。


公益、公の秩序による制限に注意

現行の憲法でも様々な場面で「公共の福祉に反しない限り」という文言がいっぱい出てくる。人にはそれぞれ権利がある。例えば表現の自由がある。しかし、表現の自由があるからと言って、他人の権利を侵害したり名誉を傷つけて良いとはならない。現行憲法での「公共の福祉」という考えは、憲法が認めている権利と権利が衝突したときに、どう調整するかという、調整弁である。

 しかし、自民党憲法「改正案」にある「公益・公の秩序」となるとそうはいかない。正当な権利も「公益に反する」となれば、処断されてしまう。ここが自民党草案の怖いところである。安倍首相は、予算委員会で、民主党の山井議員からの執拗な質問に対して「決して公益を理由に人権を制限しない」と発言していたが、はたして信用できるかどうか。


憲法改正ではなく新憲法の制定

 基本的人権の尊重、主権在民、平和主義の3大原則は、憲法を改正するにあたっても、守り抜かねばならないものである。

 もしこれをいじるとなれば、それは憲法の改正ではなく、新憲法の制定である。

誌面の都合で権利と義務の関係など書かねばならないことはいっぱいあるが、みなさんも自民党の草案の中身を一度じっくり読んで現行憲法と比較していただきたい。

 参考文献として、日本共産党が発行している「全批判・自民党改憲案」をおすすめする。

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