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投稿者: rodo-info 投稿日時: 2013-9-9 0:14:45 (634 ヒット)

福島第一原発の汚染水漏れの責任者は誰か




半木 智


 福島第一原発の汚染水漏れは、対策が実行される前に新たな事態が発生して被害は広がるばかりです。ついに東電には任せておけないと国が乗り出しました。遅きに失したと言うべきですが、国の手によって事態が収拾できるのかどうかにも疑問の声が出ています。

 汚染水の問題だけでなく、今回の事故の原因も不明、炉心がどうなっているかも分らない状況の下で全国の関係者達は再稼動に向けて動き、総理大臣は原発のセールスに熱心です。事故があったから日本の原発技術は更に優れたものになったというのが彼のセールストークです。「優れた技術」というのは十分な危機管理能力も含まれなければと私などは思うのですが、彼は気にしません。こうなってくると、GE社やWH社が相次いで日本企業の傘下に入ったのは、何かあった時に製造物責任を日本に取らせようとする米国の陰謀ではないかと勘ぐりたくなります。

 責任といえば色んな人が思い浮かびます。日本に原発を導入する中心人物だった中曽根元首相。原発が増えれば増えるほど人は健康になると福島原発を推進した渡部恒三民主党最高顧問。始まったばかりだった「朝まで生テレビ」に出演して、原発は絶対に安全で絶対に経済的だと声高に主張した当時の東電の部長。最近まで彼は自民党の参議院議員でした。更には、東日本大震災の何年も前に共産党の議員から地震と津波と全電源喪失の対策を問われ、権柄づくに無視してしまった当時の甘利経産大臣と安倍首相。このコンビは現在、日本の国家主権さえ侵してしまう可能性のあるTPPの責任者です。後世どんな評価を下されるのかが怖くないのでしょうか。寡聞にして私はこれらの人達が謝ったという話を知りません。

 国が乗り出すという事は、今まで以上に我々の税金が東電の事故処理に費やされるという事です。一方、東電は相変わらず株式上場企業です。言い換えれば、東電の株主と融資銀行(財務省の天下り先を含む)のために税金を差し出すのです。日本人の我慢強さに感心します。

 もう一つ問いたい責任があります。こんな原発行政を推進する自・公両党に投票した国民の責任を。



投稿者: rodo-info 投稿日時: 2013-8-6 7:31:43 (681 ヒット)

安倍首相の靖国参拝願望と麻生氏の「ナチス」発言





半木 智


 参院選の前、安倍政権は安全運転をしている。彼のタカ派的、右翼的言動は選挙後に露になると多くの人が指摘していました。私はかねてより、安倍さんの主張の多くはサンフランシスコ条約違反なので世界中が反対する。それ故、安倍さんはやりたい事をやらせてもらえないだろうと書いてきました。

 近々の話題は首相念願の8月15日の靖国参拝ですが、私は無理だと思います。参院選の勝利の直後にリベラルなニューヨークタイムスだけでなく、保守派のウォールストリートジャーナルまでが安倍政権の右翼的体質に懸念を表明しました。それはそうでしょう。今や米国最大の経済的パートナー中国や、対北朝鮮政策で最も重要な国である韓国と日本が首脳会談もできないような状態を米国が快く思う訳がありません。このような情勢の中で安倍さんが靖国に参拝すれば本当に日本は孤立してしまいます。彼が望んでも周りがそれを許さないでしょう。

 以前本誌で書いたことがあるのですが、もう一度言っておきます。靖国神社はこの前の戦争を聖戦であったと主張する施設です。それは併設されている遊就館の展示を見れば明らかです。したがってこの施設の中心的役割はA級戦犯を祀る事にあるのです。様々な批判のある中で、A級戦犯を分祀してはどうかという訳知り顔の人達が居ますが、事の本質を全く理解できていません。その証拠に靖国神社は頑としてそれを撥ねつけています。

 そんな施設に国の重要な役割を担う人達が参拝すれば、中国、韓国だけではなく世界中から非難が集まります。サンフランシスコ条約違反だからです。

 そんな折、麻生副総理が改憲にあたってナチスのやり方を参考にしたらどうかと発言しました。マルコポーロを廃刊に追い込んだ組織が動き出したのであわてて取り消しましたが、私は少し心配です。

 「誰も気づかないで」「ナチス憲法に変わっ」たというのは歴史として間違いですが、麻生さんは本気でナチスから学ぼうとしているのではないでしょうかという法政大学の田中優子先生の発言が気になります。



投稿者: rodo-info 投稿日時: 2013-7-2 22:00:00 (681 ヒット)

日本の孤立が始まっている





半木 智


  6月28日付の朝日新聞にこんな記事が載っていました。「本紙投稿者に嫌がらせ」。朝日新聞の投書欄に文章が載った人達の住所や電話番号がネットに流れ、嫌がらせを受けているというのです。

 記事によると、嫌がらせを受けているのは憲法9条を守りたいなどというリベラルな意見の人達です。これらの嫌がらせに共通しているのは、自分が誰であるかは名乗らない、論理的な意見ではなく脅し文句や悪罵だけを投げつけるという事です。卑怯者という他はありません。

 「これらの人達」と一括りにしてはいけないのでしょうが、ネットやその他で散見する反リベラルな人達を見ていて私が疑問に思うのは、韓国や中国にはあれだけ敵意をむき出しにしながら米国には極めて寛容な所です。戦争に負けて60年以上も経つのに相も変わらず占領軍そのもののような態度で居座り続ける米国に腹は立たないのでしょうか。これは石原慎太郎氏などにも言える事で、「NOと言える日本」などと力んでみても、あの人が米国にノーと言うのを聞いた事はありません。

 ついでに言っておきますが、あの人は保守主義者ではありません。安倍総理も同じですが、在日米軍をはじめ様々な問題はあるにせよ、戦後六十数年、基本的に平和で豊かであった国の理想主義的憲法を強引に変えようとする彼らの行動は保守のものではありません。彼らの急進的、短絡的言動は『右翼的』と呼ばれるべきです。保守はもっと知的で穏やかな存在です。

 彼らの言動により、中国は対抗姿勢をあらわにし、韓国の新大統領には冷たくあしらわれ、米国にすら「国益を害する」と評され、せっかく首相が訪米しても晩御飯も振る舞われませんでした。日本の国益をも損ねている事が解っているのでしょうか。

 国内でしか通用しないサンフランシスコ条約違反の言説を垂れ流し、その一方で、米国のお先棒を担いでいるつもりの中国敵視政策で外交は十分だと考えているのだとすれば本当に取り返しのつかない事になります。今年に入っての米中韓の首脳の動きを見てください。日本の孤立が始まっています。


投稿者: rodo-info 投稿日時: 2013-6-16 0:00:00 (686 ヒット)

主権在民の理念を骨抜きに: 支配層が国民統制の道具として天皇を政治的に利用するための「元首化」






 自民党の日本国憲法改正草案(平成24年4月27日決定)でひときわ違和感を覚えるのは、天皇の元首化である。

 そもそも「元首」とは、いろいろな考え方があるにせよ国際法上は外部に対して一国を代表する資格をもつ国家機関のこと、国家権力の最高権限を掌握したもののことである。それゆえ天皇の元首化は天皇に政治的権限を与えることにもつながる。

 日本国憲法の原則でもある主権在民は、正当に選挙で選ばれた人を国政の代表とすることによって担保されている。それを国民の選挙ではなく世襲制により受け継がれる「天皇」という地位をもつものを最高権力者の地位に置くこと自体、主権在民の理念に矛盾し、その理念を踏みにじるものである。


真の狙いは何か

 日本では国民の生活や経済活動において、現在の天皇「象徴」制に特段の不都合も生じていない。それにも関わらず、わざわざ「象徴」から「元首」へ変更しようという狙いは何なのであろうか。

 それは、支配層が天皇を政治的に利用するためにほかならない。

 例えば、9条2項の削除と集団的自衛権の行使を可能とする条文の追加である。これによって他国との戦争を可能とすることになる。どんな戦争でもそうであるが、その真の目的はその国の支配階級の利益追求のみである。国民を守るためとか、家族を守るためとかというきれいごとが目的ではない。

 しかし現在の日本国民に対して、支配層や資本家のために戦争にいって死ぬ覚悟で戦えと言ったところで、国民が従う何のモチベーションにもならない。そのために憲法の条文により天皇の権威を明確にし、国民の精神を屈服させることこそが天皇元首化の真の目的である。今でも日本で天皇制を批判することはタブー視されている。天皇の元首規定が明確になると、ますます天皇の声に逆らうことはできなくなり、国民は沈黙のうちに無条件に従うしかない状況が生まれるのは明らかである。

 支配層やそれに依拠する政治家にとってこれほど都合のよいものはない。彼らのやりたい政策、特に国民に受け入れられそうもない政策を天皇に語らせればそれで済むからである。彼らは、天皇を尊んで元首化を求めているのではない。天皇を便利な政治の道具として利用することを狙っているのである。

 天皇の元首化が、君主制から共和制へという歴史の流れに逆行するものとして批判的にとらえようとする意見もよく聞く。しかし、この論点は問題の本質をそらす危険性がある。天皇の元首化は君主制の復活を目的としているのではなく、歴史的に成熟した現代資本主義において資本家階級を代表する支配層が国民統制を目的としているということを認識しなければならない。


私たちには主権在民を守り抜く気概が必要

 私たちがよく考えなければならないことは、民主主義や主権在民といった制度や理念は、私たち一人ひとりが自分たちの進むべき進路を自分たちで考え行動し決めていくということに他ならないということである。本当は国会に全国民が集まり意見を出し合って決めていけばよいのであるが、それは現実的ではない。そのために自分たちで選んだ代表を通して、それを実現することで民主主義や主権在民の制度や理念を担保しているのである。国民は代表を選ぶときに1人ひとりが大いに議論すればよいということになっている。これは一見当然のことと思われるが、実は非常に労力のいる作業なのである。

 現代社会では、多くの人々は夜遅くまで仕事や子育てそして介護などに追われ、睡眠時間や自分の時間を見つけるのも難しい状況になっている。時間的な余裕がないのである。このような状況では、わざわざ時間をとって政治や様々な制度について真剣に考えてみようとか、他人と意見交換したり議論したりする場を設けようという気力もおこらないのが現実である。新聞記事を追いかけるのがやっとのことだという人も多いのではないだろうか。

 そうすると人間は人任せになってしまう。そして、自分たちの声を実現してくれそうなカリスマを求めて本来自分たちでやらなければならないことを丸投げして安心してしまうのである。これは自ら民主主義や主権在民を放棄することでもある。しかし、カリスマを求めてしまう人が悪いのではなく、カリスマを求めざるを得ない時間的余裕のない生活環境を作りだしている社会制度に問題があるのである。

 私たちは、「天皇」などをカリスマとして求めることのないような余裕ある生活環境を作り出す運動を展開することも重要である。同時に民主主義や主権在民を守り抜くためには自分たちの進むべき進路を自分たちで考え行動し決めていく責務があるという自覚をもつ必要がある。


改憲は主権在民理念破壊の始まりである

 私たちは、直接生活にかかわるルールである法律や条例については気に掛けることが多いが、憲法については深く考える機会をもつことは少ない。しかし、想像していただきたい。今回の自民党改正草案のような改憲内容を許してしまえば、現憲法下で制定されてきた主権在民を擁護する法律が一気に主権在民を制限するものへ改定されていくことになるということを。私たちは、そうなってからでは取り返しがつかないということも肝に銘じなければならない。



投稿者: rodo-info 投稿日時: 2013-6-14 0:00:00 (599 ヒット)

基本的人権もないがしろに: 「公共の秩序」の名のもとに基本的人権に制限を加える






 大衆に奉仕すべき国会議員の一部に、「熱狂的愛国心」のあまり民族蔑視や弱者軽視の論調を振りまき、国論を煽っている者がおり、その結果として独占資本が追求している「国益」を自ら放棄するまでになっている。しかし、国粋主義者の舌鋒は衰えをしらず、その一方的な独自の理念に基づいて、某政党はじめさまざまな右翼民族主義者がマスコミなどに登場している。

 真実だと信じて、反論する他者を誹謗中傷することはまぁ、よくあることである。両者が冷静である場合は互いに論議して誤解を解き、非礼を反省すれば良い。

 しかし、国会やテレビなどでしゃべっているだけならまだしも、言論や表現の自由を盾にして、全くの他人である他民族の商売人や子ども、老人を侮辱して殺人宣言の脅迫をやるまでに上り詰めている市民団体がある。インターネットを利用して勢力を拡大し、過激な排外主義の街頭行動をとっており、見たところオルガナイザーはごく一部で、多くの人は「サヨクがキライ」あるいは日頃のウップンばらしで集まっているようだ。この人たちは民主的で進歩的な社会運動に対して敵意をむき出しにし、突然抗議行動現場に現れては拡声器でもって罵詈雑言をあびせ、質問攻めにし、撮影した映像をネットにながして晒すという嫌がらせの手法をとっている。冷静になって話し合うことはとても期待出来そうもない人たちのようだ。


公、オオヤケにもいろいろある

 人の尊厳を暴力的に踏みにじることは諸外国ならば露骨な人権侵害行為は犯罪として扱われるが、日本において立場の弱い人たちへの言論の暴力に立ち向かうすべは無いものだろうか。最近はうれしいことに、レイシストへの抗議活動が盛んになりつつある。多少の問題も見受けられるが、ヘイトスピーチに耐えられない人々が立ち上がっていることはまちがいない。

 そこで憲法の話であるが、「強く主張する人には対極側にも防御するにたる言動の権利」もあるのだから、この互いの権利同士がぶつかればどうなるか。衝突すれば「個人の人権がどれぐらい侵害されているのか」の公平公正の上で、「公共の福祉」という最小限の制約を認める事によって基本的な権利を保証する機能が憲法にある。人数が多い方が有利だとは一概にはいえないことを肝に銘じなければならない。

 その「公共の福祉」をどのように解釈できるかと言えば、憲法第13条にまつわる条文を自民党が示している改憲案と比較することで明らかとなる。

 現憲法は「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」と述べている。ここでいう「公共の福祉」とは、憲法で認められている個々人の権利と権利が衝突した時に、相互に調整するするための基準となるものである。

 ところが自民党案ででは、「全て国民は、人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公益及び公の秩序に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大限に尊重されなければならない」となる。

 さらに第21条の表現の自由に至っては「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は保障する」が、第2項では、「前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない」としている。

 これは、政府や国家が「公益及び公の秩序」の名のもとに、基本的人権を制限する法律を作って、これを実行することを可能にするものである。


強権発動も可能に

 与党の改憲案で注意すべきもう一つの問題に、労働組合やNPO、人権保護など社会活動を行っている人々に非常に危険と思える条文がある。

 第9章の「緊急事態(緊急事態の宣言)」である。「第98条 内閣総理大臣は、我が国に対する外部からの武力攻撃、内乱等による社会秩序の混乱、地震等による大規模な自然災害その他の法律で定める緊急事態において、特に必要があると認めるときは、法律の定めるところにより、閣議にかけて、緊急事態の宣言を発することができる」ものとされる。まさに「破壊活動防止法(破防法)」の適用そのものである。

 国会議員を含む熱狂的愛国者の策動により、例えば「河野談話は誤りである」と一度結論づけられれば、当該国の民衆や良心的大衆が「謝罪と賠償」を日本国内で要求する行為が「公益及び公の秩序に反する」と判断され、抗議運動にまで発展せずとも一方的に「社会秩序の混乱」にあたるとして断罪され、逆に「日本から出て行け」を大合唱する輩はほめられるかもしれない。

 憲法の基本は主権在民で、あくまでも国家の意向から個人の権利を守るものである。また、人権とは「すべての人間が生まれながらにして持つ人間としての権利」のことであると書かれてある。しかし、政治・経済の情勢によってなにが「公益」「公の秩序」となるのかを決めるのは国家の支配者のみだから、「多数のために個人が犠牲になること」を美徳とする秩序がまたもや生まれてくるやもしれない。我々一般大衆が団結して理不尽な改憲を阻止する力を持つ以外に真の人権はない。


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