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予定表 -詳細情報-

件名 多喜二命日(1933)
開始日時 2018年02月20日 (火曜日)   (全日イベント)
終了日時 2018年02月20日 (火曜日)  
場所
連絡先
詳細 小林 多喜二(こばやし たきじ、男性、1903年(明治36)10月13日 - 1933年(昭和8)2月20日)は、日本のプロレタリア文学の代表的な作家。 秋田県北秋田郡下川沿村(現大館市)生まれ。

4歳の時に小樽に移住。生活は豊かではなかったが、伯父からの学資を受け小樽高等商業学校へ進学。在学中から創作に親しみ、文芸誌への投稿や校友会誌に作品を発表するなど文学活動に取り組む。この前後から、自家の窮迫した境遇や、当時の深刻な不況から来る社会不安などの影響で労働運動への参加を始めている。

卒業後、北海道拓殖銀行に勤務。(この頃、悲惨な境遇にあった恋人田口タキを救う) 1928年、同年に起きた三・一五事件を題材に『一九二八年三月十五日』を発表。作品中の特別高等警察による拷問の描写が特高の憤激を買う。(後年の拷問へとつながる)

翌1929年に『蟹工船』を発表し、一躍プロレタリア文学の旗手として注目を集めたが、同時に警察からも要注意人物としてマークされ始める。 同年、『中央公論』に発表した『不在地主』が原因で銀行を解職され、翌年春に上京。 1930年5月 中旬、「戦旗」誌の発売禁止から防衛するため江口渙、貴司山治、片岡鉄兵らと京都、大阪、山田、松阪を巡回講演。23日、大阪で日本共産党へ財政援助の嫌疑で逮捕され、額に傷が残る拷問を受けたが、 6月7日、いったん釈放された。 しかし、その月の24日に帰京後、作家の立野信之方でふたたび逮捕され、7月『蟹工船』の件で不敬罪の追起訴をうける。8月 治安維持法で起訴、豊多摩刑務所に収容された。 1931年 1月22日、保釈出獄。 1931年10月、非合法の日本共産党に入党し、11月上旬、奈良の志賀直哉邸を訪ねる。 1932年春の文化分野への大弾圧を機会に、地下活動に追いやられる。8月下旬、自らの地下生活の体験を元に『党生活者』を執筆。

1933年2月20日、内通者により赤坂の連絡場所で特高に逮捕される。同日築地署内において凄惨な拷問を受け全身が殴打されて腫れ上がり、虐殺された。中央公論編集部は、多喜二から預かったまま掲載をためらっていた「党生活者」の原稿を『転換時代』の仮題で『中央公論』(1933年4−5月号)に、遺作として発表した。
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投稿者 rodo-info
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繰り返し 毎年 2
最初の予定 2013年02月20日 (水曜日)
最終更新日 2012年04月28日 (土曜日)
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