『労働通信』2000年7月号
近畿地方の郵便局を統括する近畿郵政局の郵務部はさいきん、全逓労組近畿地本にたいして「現在、課・班・チーム単位でおこなわれている営業活動に、今後は個別の商品について個人の目標をさだめて営業活動をおこなう『個人別期待値』を設定したい」と申しいれてきた。
これは、近畿の営業収益が3年連続目標未達成であり、それどころか前年実績を3年連続下まわっているところから「チームや課、班では、だれかが営業をするだろうとなってしまう。これを打開し、営業成績をのばすために、集団ではなく個人の目標を設定し、営業活動を活性化させよう」というのが郵政局のもくろみである。これにたいし、全逓近畿地本は、「趣旨はみとめつつも、本来業務を無視しての営業活動はできない」と反発。郵政局と近畿地本の交渉はまとまらず、労組合意ぬきの当局施策として六月から「個人別期待値」が実行されることになった。
「班・チーム・課で設定していた目標を個人期待値で設定する」という近畿郵政当局のいい分は聞こえはいいが、実際は労働者一人一人の個人ノルマの設定である。
いままでも、チーム目標や標語の設定や、「今年度はゆうパック何個、年賀状何通、かもめーる、さくらメール何通」と目標をさだめ棒グラフをはりだして競争をあおってきた。
今回の「個人期待値」になれば完全な個人競争が職場にもちこまれ、顧客のとりあいがおこるのは目にみえている。
しかも「個人期待値」には管理者はまったく対象になっていない。これは「管理者は経営責任者としてより以上の組織運営をもとめられている」「管理者の仕事は新規事業の開拓」ということになっているからである。
このような営業活動をするからといって、別段よけいな時間があるわけではない。七桁区分機の導入以降、郵便物の破損、不着などの苦情があいついでいる。集配や小包配達の労働者は、時間区分による配達、夜間の再配達などで毎日くたくただ。とても郵政局のいうように「配達時の声かけ、あいさつ運動など地道な活動がたいせつ」といわれても、自分の仕事で精一杯なのが実状である。
労働者の削減、非常勤化がすすみ、仕事が過重になるなかで、「正常な業務運行と営業」を両立させようとすれば、それは必然的に労働者への「相互応援」などといった労働強化にならざるをえない。
それにこの「個人期待値」の対象は正規の郵政職員だけでなく郵政短時間職員もふくまれる。
「営業!営業!」で労働者をせき立て、ほんらいの仕事をおろそかにして勤労人民のひんしゅくをかった公共企業体がある。かつての国鉄の末期、民営化の直前、国鉄当局は労働者への広域配転、「分割・民営化」に反対する労働者への徹底した弾圧とともに、ほんらいは安全輸送が職務である労働者に「営業・オレンジカード販売」を強制した。そして国鉄当局は、労働者の当局への貢献度をはかってきた。
今回の近畿郵政局の施策も、もちろん「事業の危機」が背景にあるが、おおきな方向では、民営化の準備、NTTの労働者のような徹底したコスト意識と人員削減、営業の徹底化をはかるものである。
げんざいでも「自爆」(年賀状やゆうパックなどの商品を自分で買うこと)して、ノルマを達成しようとする労働者がたくさんいるなか、労働者を事業意識のみにしばりつける効果は絶大である。
郵政当局と労働者との対立は日増しに大きくなってきている。職場の労働者の不満や怒りを徹底的にあらいだし、所属する労組の枠をこえて、郵便労働運動を再建していくことをめざしていこう。
『労働通信』2000年7月号
郵政省の下請である郵便輸送業の職場でのたたかいについて、当事者の労働者より読者のみなさんにぜひご意見を聞きたいとして、つぎのような投稿がよせられた。
「雇用のため」といえばどんな理不尽もとおるいやな世の中になっているが、はたらくものの権利までもあいまいになるのは納得いかない、としてある職場で小さいが集団的な一つの運動がとりくまれた。ことのおこりはつぎのとおりだ。
郵政省は郵便料金の値あげは当面おこなわないという世間への約束から、局内の「合理化」をすすめることで消費税分は当初から料金にくわえていない。番号七桁化に深夜業務のアルバイト拡大や全国の簡易保険局と貯金局の統廃合などで本務者を直接減らしていくことがおこなわれた。しかし郵政の「減収」はとまらず、また宅配業者の郵便開放をもとめる声も大きくなって、労使ともに危機感をつのらせ、郵便内務以外の「合理化」を検討するにいたった。
郵政省は運送部門(郵政総収入の約6%)の経費節減を実行するにあたり、競争入札制度導入とともに各逓送会社への契約料をきりさげてきたのである。平均10%のきりさげは運転手の労働条件を低下させ、不採算部門の容赦ないきりすてとなってあらわれた。
わたしはそのような郵便を専門にあつかっている運送会社の近畿管内にある整備工場につとめているが、ここも例外でなく、作業基準時間のみなおし(1台あたりの作業時間をみじかく設定する)、基本作業時間(1日の実労働時間)のみなおしなどが提案され、定員定数と手当分野が低められた。これらの一環として、時間外業務の廃止(毎日30分)が提案されたが、一定の反対もありとりあえず5月1日から10分間の削減として労使で決定された。
これはこれで腹がたつけれど、問題はほかにある。よごれる仕事の整備業務であるから終業前時間内の手洗い(入浴)を長年15分程度とってきたのに今回の効率化施策を契機にそれらをみとめないとする企業側の考えがあきらかになり現場とのするどい対立に発展したことである。
「終業前の手洗い時間はみとめられていませんが5分まえにおこなってもらってけっこうです」という現場管理者にたいし「入浴して着替えるまで15分必要である。また長年終業時前の手洗いはおこなわれてきた。身体をきれいにして終業時間に会社をでることは慣行慣習である」と反論したが聞きいれなかった。
昼の職場集会では「手洗いと着替えは五分ではできない。仕事でのヨゴレをおとす時間は当然必要だ。所長が五分といえばそうなるのか。職場の実態を考えないのはおかしい。15分を主張すべきだ」などの意見があがり、所長に再考をもとめた。
しかしその考えはないといっていたので、「急に5分というのはみんな納得していない。これまでどおりにする」と宣言し、全員が5時35分に手洗いすることを決め、時間になれば風呂にはいろうと申しあわせて実行した。
これが「業務拒否である」として賃金カットをつげてきたが「自分の権利」だとして全員が行動をともにした。みんなが自分の考えをもって行動したのははじめてであった。しかし会社側の賃金カットの脅しはすくなからず動揺をあたえたようで、あらためて職場集会をひらいた。
「所長のいうことはやはりおかしいと思う。労働時間がみじかくなったのにそれにあわせないことは納得できない。手洗いは当然労働時間の内である。今後もつづけよう」となった。だが、「所長の立場もあり、これ以上は無理だと思う。これからは所長の判断にしたがいたい」などのよわい面があらわれたので、なかま同士声かけあい、全員納得した運動をめざした。
その後「これは超勤拒否にあたり、三六協定の決定違反となる」として組合上部が緊急オルグをおこなうとなった。上級機関の役員は「会社の上の方からもまとめてきてほしいと要請があった。5分と15分のあいだの10分前ではどうか」と折衷案を提示した。組合員は「超勤を拒否することも決定を無視することもしていない。ただ労働実態をまったく勘案しない会社に異議を申したてただけだ」といったやりとりをしたが、最終的に顔見知りの役員なので提案を全員承諾することになり、カットされた賃金ももどされた。
今回は「手洗いは業務の一環」という権利の問題として意見を集約してきた。運転手もふくめ権利の主張などは一定の経験のある組合員ぐらいしかできないし、とくに整備職種は技術を売る「職人気質」的意識で生きてきたので、みずからが企業の上司に抵抗するなどむつかしいと思っていたが、ふたをあけてみたら「超勤がこれまでより10分減ったのだから10分早く仕事を終えるのは当然だ」といった権利意識がだれにもあるということであった。
これまでも会社は年休の取得にたいして勝手ないいがかりをつけて、年休届を受理しながら「欠勤」あつかいにしたり、食堂を廃止し、そのため食事にでた組合員が道中ケガをしたのに公傷あつかいにせず個人に責任をなすりつけたりした。いくら文句をいっても個個人では解決できず、またさまざまな「合理化」が労使合意のもとで実施され、現場にいいようのない不満が存在していた。
現場の組合支部は以前から「組合員は、会社のいうことがおかしいと感じたら『それはおかしい』とはっきりと主張すべきだ」「権利とはあたえられるものではなく、組織的な力でうばいとるものである」と組合員に訴えていた。ほんとうにそうしなければ労働条件や権利はえられないことを初歩的ではあるが今回の問題でみんなが理解できて行動をともにできたと判断している。
いまわれわれは5分得したのか損したのかわからないが、とにかく労使の上部を動かして現場の問題の改善をすすめられたことをみんなで評価している。
整備業務に必要な「手洗い時間」を権利として位置づけたいと思うが、それは業務の範ちゅうであるのかないのか。どう考えればよいのか。こういった現場ならではの問題につきあたって解決された読者の方々もおられるとおもうのでひろく誌面にてご意見をお聞きしたい。
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