『労働通信』2001年3月号
日本の独占資本は、「高度経済成長」期には支配体制の安泰をはかるため社会保障制度を整備してきたが、こんにちその土台をくずそうとしている。それは、労働者、勤労人民とその家族の生活、将来の設計を破壊するものである。社会保障制度の改悪に反対し、その拡充をもとめるたたかいは、賃金闘争とならんで「春闘」の重要な課題となっている。
この数年間で政府は、労働者や零細小売業者にたいする社会保障制度を改悪してきた。
健康保険は、本人負担が一割から二割になった(被用者保険)。
厚生年金、国民年金は、二〇〇〇年四月から支給開始年齢が六五歳となった。もっとも急に変更されるのではなく、被保険者の生年月日によってスライドしていき、一九六一年四月一日以降に生まれた人は、六五歳からの支給になる。しかもこの処置は、五年後(二〇〇五年)にはみなおしが予定されている。
雇用保険については、失業給付が自発的失業(退職など)の場合三〇〇日の給付期間であったが、二〇〇一年度からは一八〇日の給付に短縮されている。
企業によって、厚生年金、健康保険の負担割合が労働者の側への負担増となってきている。
政府は、社会保障制度や健康保険制度の危機を「労働人口が減少するのに高齢者が増えていく『少子高齢化』が原因」と断定している。
たしかに「少子高齢化」も一つの原因だが、これがおこる理由もある。いま子どもを一人前に大学まで行かせて社会人にしようとすれば、一人一〇〇〇万円以上の費用がかかるといわれている。ふつうの勤労者の家庭ではとてもではないが、たくさんの子どもをそだてることができない。
この「少子高齢化」以上の深刻な問題が、「リストラ・合理化」による労働者の削減と賃金の低下、零細企業の倒産である。
現在、失業率はおよそ四・七%、失業者は三二〇万人といわれている。また失業しなくても、賃金が削減されたり、派遣労働者、期間社員、パートなどの不安定雇用が拡大している。厚生年金を支払うべき労働者の就業数が減少したり、収入がへれば、はいるべき厚生年金保険料がはいらなくなるのはあたりまえである。
自営業者がかける国民年金にしても、零細業者の倒産が増加すれば、必然的に年金をかける人がすくなくなる。また国民年金は二〇歳以上から加入義務があるが、「年金をかけても満額もらえない」として、国民年金の掛け金を支払わない人が増加している。
もちろん、年金をかけたぶんは、国民年金法にもとづいて満額支給されるのだが、支給開始年齢がいったい何歳になるのか、いまのところさっぱりわからないのである。「いつもらえるかわからない年金のために支払いはできない」と考えるのは、しかたがないことではないだろうか。
社会保障の目玉である年金の制度的な問題はほかにもある。現在おおくの労働者や自営業者が国民年金や厚生年金の保険料を支払っているが、これは自分の年金を積み立てているわけではない。現在、労働者が保険料をはらって積み立てている金額の大部分は財政投融資制度をとおして、道路や会館、学校などの公共施設の建設をはじめ、いわゆる「公共投資」の資金として運用され、ゼネコンなどの独占資本のためにつかわれているのである。実際に高齢者の年金として支給されている金額は、年金積立額の五分の一にすぎない。一種の国民収奪の仕組みである。
財政投融資の資金ですすめられた苫小牧東部や陸奥小河原の大規模開発への融資がこげついたように、ひとにぎりの独占資本のための「公共投資」に資金がつかわれ年金財政が破たんすれば、いま保険料をかけている人たちは「年金の保険料はかけても年金はもらえない」ということもありうるのである。
おおくの労働者、勤労人民の貴重な資金を「公共投資」についやし、リストラ「合理化」の結果、年金保険料の収入が減るや、こんどは厚生年金や国民年金の支給開始年齢をひきあげたり、金額をひきさげる。反面、高額所得者の企業年金には「確定拠出型年金」(いわゆる401K)を導入して、年金額を増やそうとする。そして公的年金制度を破壊していくのである。
日本社会は、「高度成長」期から「社会主義」のまねをしながら、社会保障制度をつくりあげてきた。そしてこの制度は、おおくの労働者や勤労者に「べつに労働運動や組合運動をせずとも、一生懸命はたらいて、定年を迎えてれば、安心して老後が暮らせる」と思わせてきた。
だがこのような考えはいま根底からくずれている。社会保障制度改悪の根本的な問題はどこにあるのか、経済のグローバル化、規制緩和の攻撃は、労働者を死ぬまで苦しめるものであるといわざるをえない。