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『労働通信』2001年5月号
郵便トラックの事業をおこなっている日本郵便逓送は、今年の四月から郵政事業庁がうちだした「運賃の一〇%削減」にしたがって、労働組合の「協力」のもと労働者へのリストラ攻撃をすすめてきている。
今回のリストラの特徴は、いままでとはちがって、賃金そのものを低下させる徹底した賃金抑制と労働強化、人件費の節減計画である。→
いままで日逓の労働者は年間一二四日の公休が付与されていたが、今回リストラ攻撃で、七日減少の一一七日となる。基準賃金がそのままだから、これは実質的に賃金のひきさげである。
同時に日逓労働者がいままでかちとってきた手当分野はすべて削減し、また八時間労働にたいして一時間の休憩の付与のところを、仕事と仕事の合間、いわゆる「手すき時間」をも休憩と換算することで残業扱いの時間を削減しようというものである。これによって残業手当は毎月一五時間分あまり減少し、またその他の手当分野も削減されることから労働者の毎月の賃金はおおむね五万円から八万円減収となり、年間でおよそ一〇〇万円の減収になるとみこまれている。
それとともに勤務を編成する基準が改悪され、深夜や早朝の出勤ができたり、「改善勧告基準」限度いっぱいの一五時間といった長時間拘束労働、パート労働者に走行させる「短時間勤務」が大量につくられている。これによって大阪支店や近畿運行管理センターではむりやり「過剰人員」がつくられ、この二つの事業所で合計四〇人の「過剰人員」が発生することになる。
企業にとってはたいへんなぼろもうけである。企業サイドからみれば、いままでとおなじ仕事量なのに勤務体系を少しいじっただけで、労働者を削減することができる、残業代もねぎれる、おなじ賃金で余計に労働させることができる、などまさに一石二鳥にも三鳥にもなる。
今回の日逓企業のリストラ攻撃の背景には、郵政事業の改編・民営化攻撃と運輸業界の規制緩和攻撃がある。
郵政事業庁は、「現在、かつての黒字を食いつぶしている状態であり、このままいけば郵政公社に移行できず、民営化論議が再燃する」として、集配運送費、人件費の抑制を躍起になってすすめている。このため郵政事業庁は、郵便輸送専門で請け負っている企業以外で料金が割安の企業を郵便輸送に参入させ、たがいに競争させながら、郵便輸送のコストを削減しようともくろんでいる。事実、事業庁はトラック便の輸送料金を削減するだけでなく、航空機で輸送している郵便の輸送料を競争入札制度にし、日本航空、全日空、日本エア・システムの大手三社を中心に郵便輸送料金のコストダウンをはかろうとしている。さらに郵政事業庁は、郵政職員を来年一年間で一万人削減しようとしている。
また郵便トラックの最大手であり郵政官僚の天下り先でもある日逓では、事業庁の意向をうけ、労働者にたいしては「会社が危機」「このままではつぶれる」などとなんら経理内容を公開もしないのに危機宣伝だけを先行させ、労働組合(全逓)の中枢幹部を利用しながら、労働者をおさえこみ、「労働組合の要求」と称して、今回のリストラ攻撃を実行してきているのである。
しかしいくら組織決定とはいえ、毎月の賃金が五万円から八万円もさがることにたいして、職場の労働者の怒りはひごとに高まっている。
それは本部が二月に全国支部長会議を招集し、それにむけて意見集約をおこない、支部長会議でも近畿・東京・四国・信越の四支部長が本部案に反対したにもかかわらず、これを独断でおさえこみ「本部集約」と称して強行突破したからである。
ある支部の役員は「このままでは腹の虫がおさまらない。代表者会議で一暴れしてやる」といったり、べつの役員は「本部オルグがあり赤字だという。なにがどう赤字なのか問いつめると『それはいえない、とにかく本部を信用してくれ』としかいわない。そんな馬鹿な話があるか」といっている。
ある三〇代の労働者は、「自分はいままで本部派だったが今回のやり方にはあきれている。自分たちにも生活がある」「もう本部を信用できない。今回の賃金ダウンをのんだからといって郵政公社のもとで日逓が生き残れる保障はない。将来展望はない、企業は無責任、労働者だけが馬鹿をみるではだれも納得しない」とはきすてるように述べている。
だが今回の事業庁、日逓企業の攻撃は労働者の意識を変える上で大きな転機であり、チャンスでもある。いままで労働者のなかには「規制緩和にもいいところがある」といった意識が根強く存在していた。また郵政事業が再編されても「何とか食っていける」という期待が存在していた。しかし今回の運賃値下げを口実にした企業側の攻勢は、労働者のこのようなあまい認識を完全にうちくだいた。
これからの問題は、このような事態の性質や原因を綿密に系統的に労働者のなかで論議していき労働者の意識を高めることである。
規制緩和・グローバル化は労働者に何の利益ももたらさないことは事実をもって証明されている。その根源的な問題、現在の社会の動きを労働者としてどうみるのか、この学習が職場で必要となってきている。