『労働通信』2001年9月号
小泉首相は、「郵政民営化」が持論だが、参議院選挙運動中は既定方針どおり郵政事業公社化を二〇○三年におこなうと発言した(「その後に民営化を考える」ともいっているが)。第二の国鉄といわれてからは、労使ともに「将来の事業のあり方」を模索して、たがいに「お客様第一」のサービス競争をすすめてきたが、かぎりなく民営にちかい公社のたちあげとなるみこみである。それは黒字基調での事業の「健全」な経営を最低条件としている。ほんとうは赤字であろうが、黒字経営であろうがとにかく、公務員労働者の削減と、たたかう労働者組織を撲滅せんがための帝国主義者の本音を代弁している小泉内閣にとっては、一過性の鎮静剤にすぎない。
わたしがつとめる郵便局では、その情勢を反映するかのような、いろいろ不可解な状況が露呈している。
こんにちまで、昨年九月の全逓支部長強制配転からはじまった当局の組合つぶしは、職場規律の強化と退職強要、あいさつの励行、一斉唱和と起立整列ミーティングの強制へとエスカレートし放題。そして、要員減と過密労働とただばたらきの強要。「自主研修」不参加者や「営業成績ゼロの者」は公社にいかせないとおどし、非常勤職員にも本業以外に営業をおしつけている。茶髪や濃いヒゲをのばすことをみとめないといった権利の無視はあたりまえ。
管理者は、非常勤には退職をほのめかし、本務者には処分をチラつかせ、自分は業務上しなければならないフォローもしないくせに、労働者が仕事のミスの事後処理をしたらミスにつけこんで労働者への事情聴取をする。お客さんが窓口でたくさんまっていることも考えずに、一つずつの査数確認および会計という杓子定規な業務指導を命令する。それなのに、ややこしい客(いれ墨系統)の場合はしりごみしてでていかない管理者のなさけなさ。本当に怒りがふつふつわいてくる思いだ。
かれらは、「民営化反対」をさけぶ自民党内「抵抗勢力」をささえている。その本質は、かれらの「既得権益」をまもるために労働者を犠牲にしているということだ。
小泉「構造改革」で日本がかわるという幻想をいだかせる政治姿勢は危険であり、その本質をみぬかなければならない。そうではあるが職場の状況は組織力がよわめられている。公社化をにらんで支配者側は労働運動のない職場にしようとしているようだ。全逓支部は、現在まともな団体交渉ができない状況で、窓口交渉(労使担当者のみの状況説明程度の交渉)だけになっている。
このようななかで、今後月一回分会役員と支部役員などで問題把握につとめ、現場で「全逓バッジ」の着用や勤務時間点検などの最低限の運動をしていこうと考えている組合員がふえている。
京都の郵便のおおくの職場では昔から全逓と当局、あるいは二組(全郵政)との対立が存在している。これまで目の前の個個の利益よりも、労働者全体の権利を優先するといった考え方が主流であった。それは、京都の活動家層の基本的考えである「はたらくものが主人公の社会の実現」の思想が全逓をささえてきたという自負があった。しかし、このような「思想」は、日経連がとなえだした『新時代の日本的経営』がでだしたころから、郵便事業の発展にはなんの役にもたたず、むしろ桎梏(しっこく)になると考える組合員がふえ、全逓上部高級役員からも「非現実的だ」と批判されてきた。「郵便新生ビジョン」でのサービス精神・全体主義の徹底という現実がまちうけている。われわれも「組合運動新生ビジョン」を考え、職場のなかまを多数獲得していきたい。