私のリストラ体験記

企業も社会主義的要素を取り入れなければ存続できない

福岡県 元化学関係労働者 島田 健作

『労働通信』2002年3月号

 九〇〇人ぐらいの製造業の会社でしたが、リストラされて間もなく三年になります。

 三年ほど工員として働いていたのですが、組合活動のために地方の営業所に飛ばされ、以後二五年間、営業の仕事をしました。

突然のリストラ通知

 通告を受けたのは、新年度が間もなく始まろうかという三月の二〇日頃でした。今まで本社の営業部長が前ぶれもなくやって来ることはなかったのですが、突然やって来て通告されました。

 文書らしい文書は全く無く、すべて口頭によるものでしたが、会社のいうリストラの基準は、@過去三年間の業務成績が良くない、A過去三年間の勤務態度が良くない、B旧定年の五八歳を超えている、という中のいずれかというものでした。

 私の場合は、五八歳になっていたので、それが理由だと告げられました(一〇年ぐらい前に、賃金などすべて据え置きで、定年が五八歳から六〇歳に延長されていました)。

 そして、私の名前や生年月日、在社期間、退職金等の個人データと一緒に、「加算金八カ月」とワープロ打ちされたメモ書きみたいなものが示されました。

 もちろん、驚きました。ひとつは、この会社は創業以来八〇年を越すのですが、一度も人員整理をやらなかったことを自慢にしていたからです。でも、日本経済のミニチュアのような会社でしたから、他国の技術を安い労働力で商品にするという経営に限界が来ていたと思います。

 聞けば、五〇人ぐらいだと言います。でも、私の場合は、年齢や業務成績が理由ではなく、勤務態度とかが理由であるように思われました。なぜかというと、ある取締役が指示したというサービス残業を、私が労基署に公然と訴えたからです。しかも、二人しか部下のいない名前だけの課長でしたが、組合名簿から外されて「会社側」扱いされる身だったからです。後になって、その営業部長が私の告発のために始末書を書かされたと二度も言ってますから、それが私をリストラした理由であったことは間違いありません。でも、会社はけっしてそれを認めませんでした。それにしても、本人にはただの一言も「おトガメ」がなく、その上司にのみおトガメがあったというのも変な話です。

 それはそうとして、その頃は一般に高齢を理由にしたリストラは仕方ないことのように思われてました。だが、自分が体験したせいでしょう。年齢を理由にしたリストラもおかしいと思いました。スチュワーデスが若くないという理由で解雇され、裁判で撤回させられたことがありましたが、高齢という理由もやはりおかしいと思いました。なぜなら、ある年齢以上の者を劣等扱いすれば、その年齢に到達した社員のモラルが低下するようになるからです。経営上の視点からも認められることではありません。したがって、年齢差別が世間で問題になる前でしたが、裁判に持ち込むだけの価値はあると思ってました。でも、どこの組合も毎年の賃金や労働時間を会社と交渉するだけの存在になっており、私がいた組合も全労連加盟とはいえ、その代表みたいなものでした。そうした状況の中で、たとえ勝てるとしても、闘うことにどれだけの意味があるかと考えました。それで一生が終わるかもしれないのに、個人的な問題にしかならないように思われたのです。

脱サラして三年

 そこで、会社が私に辞めてほしいというのを利用して、定年の六〇歳を越しても仕事が出来るようにしようと考えました。それは私からというよりは、退職を求めに来た営業部長からの提案でした。それというのも、数年前から、私がその仕事についてのアイデアを語っていたからです。私の営業の仕事は、衣料品に例えるならその生地を売るようなものでした。しかし、生地だけの販売では売上の上がるような市場ではなかったので、本社の営業ではあまりやらないような縫製品にしたものも売っていました。縫製品の販売には、個人的なオーダーメード的注文がけっこうありました。

 私は会社としてはあまり歓迎しない、このスキマ需要的な商売に目をつけていたわけです。そこで、このオーダーメード的注文はすべて私の方に発注するようにし、私への支払いを手形でなく現金にするよう求めました。というのは、縫製してくれる所や物の仕入先に対して現金(銀行振込)での支払いが必要だったからです。

 この「取り引き」を会社は呑みました。間もなく三年になります。すべり出しは予想以上でしたが、さすがに最近は不景気です。

 ところで、私は年齢差別に現れるような、一部の社員を犠牲にした採算の改善を認めたわけではありませんでした。人員を縮小するなら、退職条件を良くした自由な希望退職制にすべきだと思ってましたから、加算金を多くするように社長宛てに文書で要求しました。そして、その要求と共に、経営の在り方としても間違っている、年齢を理由にした退職要求を二度としないよう約束することを求めました。

 文書は、社長名ではなく常務名で、「拝見しました」という書き込みがなされて戻って来ました。退職金の上積み加算はありませんでした。でも、それ以上の闘争を放棄したのですから仕方ありません。脱サラの希望もかなったので「円満」に退社したというわけです。

メジャーな考え方とは何か

 ところで、締めくくりとしてお話したいのですが、企業も資本主義とは正反対の社会主義的な要素を取り入れなければ存続出来ないと思うのです。それを象徴しているのが労務管理教育で主張されている「自己実現」の労働です。しょせん、それはギマンでしかないのですが、「やりがい」とかを求める若い世代の要求とマッチするものです。労働の自己疎外から脱却し、自己実現を図るというのは社会主義そのものです。

 一方、ピンからキリまであるとはいえ、労働力扱いされる者は、わが国就業人口の八割をすでに超えています。「豊かでゆとりある社会の実現」は、資本主義的な低賃金志向の論理とは真っ向から矛盾するものです。私は自分の労働者体験を通して、新しい「労使協調主義」を提唱したいのです。それは、従業員に対して一線を引き、企業の手段としか考えないような、そうした従業員に対する「対立」した考え方を経営側にさせないことです。そして、組合も経営に口を出し、企業の採算と従業員の福利を共に満たすような経営しか認めないようにすることです。私が労基署の監督官を会社に来させたのは、私の考え方がメジャーな考えで、サービス残業を強制するような考え方がマイナーな考えだと自信を持って言えると思ったからです。このように、メジャーな考え方はどういう考え方か、組合や労働運動にはそれが大事だと思っています。

 さいごに、率直なご意見やご批判をお願いします。

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