「これから先どうなるのか」という
不安に答えられるビジョンが必要

広島県 自動車産業労働者
貝原 一

『労働通信』2002年5月号



 「きょうの昼休み、春闘の職場集会をするのであつまってください」と、朝のミーティングで職場委員がよびかける。職場討議をするのを忘れて集まらない者、あつまっても口をひらかない者、そして毎年のようにこの言葉がでる。


 「紙に意見を書いても役に立たない」

 「組合に今年は満額でるようにいっておいてくれ」

 このおきまりの言葉がでると、回答予測にはいる。

 「今年は黒字になったからボーナスは五カ月でないですかねえ」と青年がいう。

 「おまえは甘い。この会社はそんなに甘くない。去年よりケツの毛がはえたくらいじゃ」と年配労働者が答える。その答えにみんな納得のようすをしめす。

 「だいたい筋道ができている。はじめ少なめの回答をだし、ケツの毛がはえたぐらいの上のせ分で組合のメンツと会社の誠意ということでチャンチャンじゃ。これがパターンだ」と年配労働者が力説する。

 そして、これからが職場討議とは関係ない本題の情勢討議で話題がもりあがる。

 「ベアがあがらないというのはくるしい。なにをするにおいても基本になるからなあー」

 「ベアってなんですか」

 「それも知らないのか。定期昇給の上のせ分じゃあ」

 「今年はなんといっても失業対策に仕事をわけあって雇用をふやす制度がやられはじめている」

 「ワークシェアリングのことか。ありゃ、ええかげんなものじゃ。たしかに仕事量と給料が減るが、雇用はふえてない。聞こえのええリストラじゃ」

 「それじゃったら、ええ歳になった若い者が定職につけず、フリーターかなんか知らんが、親といっしょに暮らしよる。もう実際にはやられているのとおなじじゃないか」

 「これから先どうなるんか」

 ほんとうに、これから先、どうなるのだろうか。政府のいうように、「成果をあげたものが喜びを感じ、ひろく浅く税金を徴収する税制が活力をうむ」というが、ほんとうにそうだろうか。私は疑問に思う。

 二三歳の青年がいう。

 「ぼくはいまより高収入で、大好きなクルマの仕事があっても転職しないだろう。いまはいいかもしれないが、結婚したり、家を買ったり、先のことを考えると、安定した職をえらぶ。だいたい、この会社にはいってくるやつはそんな動機で入社するのではないか」

 自分もそうであった。「将来を考え、安定した企業でその上にすこしでも給料のおおい会社を」と。

 理想をかかげることは容易だが、その世界を実現するまでに、その国の人民の生活に責任をもっていただろうか。私には、理想はあっても、人民の生活に責任をもつことはなかった。「ただ、理想の世界を実現するためにたえるのみ」。貧困でもたえしのび、人民に奉仕できればと崇高な思想についての教えを人人に説き、わるい世の中になるからたちあがらなければならないと、必要性をとなえるだけであった。

 理想の社会を実現するまでの社会での制度や社会保障はどうすればいいのか。産業の動向や精神的にも物質的にも豊かな社会をつくるビジョンはあるのか。それがなくては、「これから先はどうなるのか」という人人の問いに答えられないのではないか。

 ある先輩活動家からいわれたのだが、「人民のための政治家」にならなくてはならないのではないか。いまの私には、とてつもなく大きなものに思えたが、たいせつなことではないかと思う。ぜひ、おおくの人に意見をうかがいたい。

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