書評

いま「集まること」と未来の社会について考える

田畑稔著『マルクスとアソシエーション――マルクス再読の試み』
(新泉社 2500円<税別>)

評者 片桐 進

労働通信2002年7月号


 これは、とてもとっつきにくい本かもしれない。表題からして「アソシエーション」なんぞという聞き慣れないカタカナ言葉があるし、内容もマルクスをち密に再解釈しようというもので、こむずかしい。

 確かにそういう面はあるけれど、その実この本は、労働者が日ごろ直面していることについての本だと思う。

 たとえば、労働組合のあり方。多くの組合では、上層部がなにもかも動かしていて労働者の意見がちっとも反映されない。この現状に対して、どういう組合をめざすべきだろうか。めざすべき組合は、どのような原則にもとづいた組織なのだろうか。

 また、集まること団結すること自体に懐疑的になっている労働者も多い。それもある意味無理はなく、組合の現状はひどいし、この社会でわれわれが体験する「組織」はほとんどが抑圧的なものだからだ。しかし、そうでない「組織」はありえないのだろうか。人が集まるということは、必ず個人を抑圧するものなのだろうか。

 アソシエーション論は、こうした疑問などに、基本的な見方を提供するものなのだ。

アソシエーションとはなにか

 著者によれば、「『アソシエーション』は、諸個人が自由意志にもとづいて、共同の目的を実現するために……『社会』をつくる行為を意味し、また、そのようにしてつくられた『社会』を意味する」。

 たとえば労働組合。もし労働者の利益という共同の目的のために自発的に団結し、それぞれが創意を発揮し体験を学びあうことで共同の意志を作りあげ、ともに行動するならば、それはアソシエーションだ、ということだろう。またたとえば、各地のたたかいの教訓を報告しあい、これらを総合して労働運動の路線を作っていくことは、アソシエーションである。

 アソシエーションは、こんにちの社会の組織の多くとはちがっている。たとえば、著者のいう「商品交換社会」は、私的な利益にもとづき商品所有者として結びつきあうことで、契約関係などを指す。また、「権力社会」は、集団の上層部の意志が共同の意志を自称し、メンバーに押しつけるような関係で、資本の労働者にたいする業務命令など。著者は、この二つと「自生的共同体」と「アソシエーション」とを合わせ、「『社会的編成』の四つの型」としている。

 そして、このような「アソシエーション」概念はマルクスにおいてきわめて重要なものなのだが、これまでかえりみられることがなかった、この概念を軸にマルクスを再読することは「かなり根本的な《マルクス像の変革》」となる、というのがこの本の立場である。

アソシエーション社会の原則

 それでは、マルクスから導き出される、アソシエーション社会の内容はどのようなものだろうか。それは多岐にわたるが、ここでは二つだけ紹介したい。

 一つは、マルクスが「共同(社会)性」「共同のコントロール」「アソシエイテッドな知性」などと表現しているものだ。これは、たとえば「労働者の地位の向上」などのような共通の目的で人人が集まり、目的に即して経験や創意を学びあい、共有する認識や方針を作り、この認識や方針にもとづいてともに活動していくことだろう。ただしこの「共同性」については、この本ではやや軽くあつかわれ、内容も食いたらない。

 もう一つは、「自由な個人性」。こちらはこの本で長いページがさかれ、書かれた内容も豊富である。ちょっと乱暴に要約するが、「自由な個人性」とは、メンバーがゆたかな個性や独自の経験を持った人としてアソシエーションにかかわり、アソシエーションはまたメンバーがそのような人人であることを基礎に作られるということだろう。たとえば労働組合には、古い労働運動の経験を持つ人持たない人、他の産業での職場経験のある人、その他さまざまな経験・性格・年齢などの個性を持った人人がおり、これらの個性が尊重され、たがいに異質な個性を結合することで全体の認識や方針が作られてはじめて、アソシエーションとしてうまく機能するのである。

「未来社会はアソシエーション」

 マルクスはまた、未来社会の内容を語るときに、一貫して「アソシエーション」という概念を軸にしてきた。著者は、多くの引用をまじえこのことを強調している。

 たとえば、
「生産手段の国民的集中は、共同の合理的プランにもとづき意識的に活動する、自由で対等な生産者たちの諸アソシエーションからなる一社会の自然的基礎となるだろう」
「彼らの社会的諸関係を、彼ら自身の共同社会的諸連関として、彼ら自身の共同社会的コントロールに服属させる」など。

 マルクスの語るこうした未来社会像は、旧ソ連をモデルとする社会主義像と大きくちがっている。著者はこの点をとらえ、ソ連などを「非アソシエーション型の一種の抑圧社会」「国家集権型システム」と評している。またソ連の計画経済は、国家計画の指令による上から下への指令であり、マルクスの構想した「『生産当事者たち』の『アソシエイテッドな知性』」による経済調整とは異なるとしている。

 「国家集権型」という批判観点は、私には社会全体を「一つのアソシエーション」として作っていくことをも否定するように見え賛成できないが、それ以外は当たっていると思う。

 現に、今の社会の矛盾を考えてみると、中央計画の樹立だけでは解決できそうもない問題が多い。コストダウンのかけ声のもと、現場の正常な仕事の進行さえもさまたげる「合理化」が強行され、事故や商品表示のごまかしやコンピュータシステムのクラッシュなどが繰り返され、労働者は過労、作業効率は低下している。環境問題が深刻化し、一つ一つの製品ごとに環境への考慮が必要となっているが、かえりみられることはない。郵便などでは、仕事を知らない管理者の恣意ばかりが横行し、「国民のための郵便」といいつつ、なにが「国民のため」なのかは検討もされず、投資家のためだけの改革が強行される。

 どれもこれも、現場の労働者の声を集め、労働者自身が生産を運営するような改革なしには、解決できないことばかりだ。

今後の課題

 この本は、「アソシエーション論」についてまとめた、おそらく最初の本であり、問題提起としての意義はとても大きいと思う。他方、「アソシエーション」の内容やマルクスの他の諸理論との関係など、深めていくべき課題は多い。またこの本の中心はあくまでマルクス読解であるため、労働者階級の組織論・社会主義像の明確化など、こんにちの生きた実践的適用は読者にゆだねられており、この点は著者も「現代的地平での『マルクス再獲得』のためには、実践サイドと研究者サイドの双方から自覚的努力が必要だろう」と提起している。

 またマルクスは、株式会社や利権政党などのように、形式的には「自由意志にもとづいた」結合ではあるが実質的には私的利害・思惑を媒介にした結合の場合も、「共同性」「自由な個人性」などアソシエーションとしての特質をそなえた場合にも、「アソシエーション」という言葉を使っているが、個個の文脈では意味の使い分けが明白である。しかしこの本では、この区別がはっきりせず、そのため「アソシエーション」概念が把握しづらく、また「アソシエーション」の特質が不鮮明になっていると思う。

 

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