護国神社・霊山歴史館〜知恩院・京都解放運動戦士の碑
労働通信2002年7月号
京都は歴史の町といわれるように、じつにたくさんの史跡がある。観光地になるほど有名なものから、人知れずひっそりとたたずんでいるものまで、数えるときりがないくらいである。
今回は、明治維新の志士たちがねむる護国神社から知恩院にある京都解放運動戦士の碑を紹介しようと思う。
わたしは高校生の時、その型破りな生き方と、日本の国を世界につうじる国にしようという情熱により私利私欲を捨て日本中を奔走した坂本龍馬に惹かれた。その龍馬の墓がちょうど清水寺と八坂神社の中間ぐらいにある護国神社にある。維新の道という急な坂を上ると左手に受付があり、拝観料を払ってさらに急な階段をのぼると、同志中岡慎太郎とならんで龍馬の墓がある。いまでも、高校生のときはじめてここを訪れ、その墓石にふれ彼の屍がここに眠っているのかと思い感無量になったことを昨日のように思い出す。この墓地には、そのほかに桂小五郎(木戸孝允)をはじめ一〇四三名の志士たちの霊がまつられている。
護国神社をでてすぐ正面には霊山歴史館があり、動乱の幕末・維新史を詳しく紹介している。徳川幕府の封建社会から脱皮しようとする革命期の様子を伺い知ることができる。
護国神社をでて少し下り右手の方に「ねねの道」という通りがある。それをしばらく歩いていくと知恩院である。ちなみに「ねねの道」とは、豊臣秀吉の正室ねねが出家した高台寺があることから、そういわれるようになったのであろう。知恩院は法然上人の御廟がある寺院で、その三門は日本最大級である。観光客や修学旅行生もおおく、京都観光名所の目玉にもなっている。
そんな喧噪とは対照的に、三門を出てすぐ右手の小さな石段を上がると京都解放運動戦士の碑がひっそりと建っている。この碑は、戦前・戦中に治安維持法の弾圧のなか、平和と自由を求め、民主的日本の建設を願い、万人の幸福な社会実現のため進歩的・革新的社会運動に身を投じ、逮捕、投獄され、獄死、虐殺され、病死させられた京都ゆかりの無名の解放運動戦士や、戦後京都の地で進歩と平和、民主主義の前進のために尽し、志半ばにして亡くなられた人人に捧げられたものである。碑は赤旗が棺を覆った形を表し、碑文は末川博氏によるものである。物騒な法案が提出されている今日の日本であるが、わたしはこの碑を前にして命をかけてたたかった無名戦士の志を無にしてはならないと誓いをあらたにする思いであった。
京都に来る機会があれば、ぜひ一度訪れてはいかがだろうか。