大阪府・設計労働者

労働通信2002年9月号

 私は今年四月からハローワークの紹介で現在の会社に入りました。会社は薬品や危険物、粉体のステンレス製コンテナの製造・販売です。私の仕事はコンテナの設計・試験業務でした。

 ところが六月二五日に会社から「今日をもって解雇」を口頭でいいわたされました。解雇の理由は、「三カ月間の試用期間をみたが、仕事ぶりがよくない。仕事のスピードが他の人より遅い」ことでした。

 会社は「七月二〇日までに仕事をさがして欲しい」と私にいいましたが、私は「もう少し仕事をしたいのです。あすも会社に来ます」と意思をしめし、「労働基準監督署にいきます」といいました。会社は「君は仕事がなくなっているのにくやしくないのか。あすから会社に来なくてもいい。来月の給料はゼロだ」といいはりました。

解雇撤回闘争のはじまり

 私は、全国一般大阪地本・ユニオンおおさか(全国一般)に加入しました。全国一般は、七月二日に私と書記次長と同行して組合結成通知および要求書を会社に提出しました。

 要求は、@六月二五日付の解雇を撤回し、原職に復帰させること、A夏季一時金として基本給の二カ月を支払うこと、B時間外労働にたいする割増賃金の支給と有給休暇の取得ができるようにすること、C賃金、労働条件、配置転換、出向、処分などの事項の事前協議を実施すること、D組合活動による不当労働行為の禁止と組合掲示板の設置です。 

 会社は「解雇撤回はいたしません。解雇予告手当は労働基準監督署の指導で三〇万円を支給します」と発言をしました。

 組合は「あくまで組合員が職場復帰できるように、七月八日の第一回団体交渉で回答をしてほしい」と会社に私の解雇撤回をせまりました。 

闘争をはじめたきっかけ

 今回の解雇撤回闘争をはじめるきっかけは、私の知り合いの大阪・門真市会議員の戸田ひさよし氏(全日建連帯労組出身)や私が所属している社会民主党の仲間、『労働通信』の仲間からのアドバイスでした。以前も試用期間で解雇された経験をしていました。当時は大阪労連オブ加盟の組合や民主法律協会に相談しましたが、解雇撤回闘争に後ろむきでした。そのときは「日本共産党の党員は選挙のことしか関心がないのか」と疑問に感じました。

 私の解雇撤回闘争にはたくさんの励ましやアドバイスをいただきました。しかし、その反面、労働組合を敵視している一部の人物から、「人間の屑」とか「君は権利ばかり主張してないで、しっかり義務も守りやがれってんだ!」「自己中心主義者」「あなたは会社にゆすり、たかりをしている。まるで暴力団だ!」などの中傷がありました。しかし、かれらは資本にぺこぺこすれば自分たちの労働条件がよくなると思っているだけです。私への中傷は「資本に首を垂れろ!」といっているようなことです。

第一回団体交渉

 全国一般は七月八日に要求書にもとづく会社からの回答を得るために会社にでむきました。会社の回答は、「六月二五日付の解雇を撤回し、原職に復帰させることについて考えていない。夏季一時金は基本給の二カ月を支払わない。時間外労働にたいする割増賃金の支給と有給休暇の取得はできない。賃金、労働条件、配置転換、出向、処分などの事項の事前協議を実施することは考えていない。組合活動による不当労働行為の禁止と組合掲示板の設置は考えていない」という内容でした。

 会社は、「解雇撤回はいたしません。解雇予告手当は労働基準監督署の指導で三〇万円を支給します」と要求書提出時のときと変わっていません。組合は「あくまで組合員が職場復帰できるようにしてほしい。万が一、Aさんを職場復帰させないのであれば、一年分の賃金の生活補償を要求する」と主張しました。

 会社は、「Aさんに一年間の生活補償をすれば、会社がつぶれてしまう。もし、つぶれたら組合がどう責任をとるのか」と組合員の生活よりも会社の経営重視をいいました。組合は「今週中に前向きな回答をして欲しい」と主張しました。

第二回団体交渉

 全国一般は、会社が団体交渉の日の設定に応じなかったので、団体交渉拒否にたいする抗議書を送りました。会社は抗議書を受けて七月二五日に第二回団体交渉をしたい旨を組合につたえてきました。組合は会社の希望に応じました。

 会社の回答は「あなたの解雇撤回はできません。解雇予告手当て三〇万円とプラスアルファ二〇万円の合計五〇万円しかだせません」と回答しました。すでに会社が私の銀行通帳に解雇予告手当を無断でふりこんでいました。組合は、「職場復帰できるようにしてほしい。会社が組合員を職場復帰させないのであれば、組合員の生活補償を要求する」と主張しました。会社は「あなたへの生活補償をすれば、会社がつぶれてしまう。もしつぶれたら組合がどう責任をとるのか」「あなたに仕事上のミスがあった場合に組合が身元保証人になるのか」と、あくまでも組合員の生活よりも会社の経営重視をいいました。組合は「来月の一日に前向きな回答を回答して欲しい」と会社に主張しました。

第三回団体交渉

 第三回の団体交渉は八月一日一〇時に会社内でおこなわれました。組合は「第二回目の交渉の結果をふまえて、会社側の回答はどうでしょうか」と会社側からの回答をもとめました。会社は「貴組合員への解雇予告手当の支給を取り消し、九月いっぱいまで会社に在職扱いにして、会社都合の退職にします」と回答しました。

 組合は、会社側の回答に応じざるをえない状況になりました。会社は「解雇予告手当を含めた四五万円」の回答に固執しつづけていました。

 今回の解雇撤回のたたかいは「勝ち目がない」ほどの見通しでした。連合・全国一般大阪地本・ユニオン大阪には解雇撤回のたたかいへのアドバイスに感謝しています。

 今回のたたかいでは、職場復帰ができませんでした。しかし、会社にたいし試用期間であっても簡単に解雇ができないことを労働組合のたたかいによって思い知らせることができました。

私のホームページ
http://isweb24.infoseek.co.jp/diary/budou10/


全国一般大阪地本のホームページ
http://hb5.seikyou.ne.jp/home/osakachihon/

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