社会変革のためにたたかった人人の足跡
        平等院〜山本宣治墓碑

生粋の京都人

『労働通信』2002年9月号

 遠い昔のことでいつのころだったか正確には覚えていないが、初めてお小遣いというものをもらいだしたのは小学校に入学したくらいではなかったかと思う。たしか一週間ごとに三〇円であった。子供心にそれがうれしくて、もらった一〇円玉をまじまじと見つめたものであった。そしてある日、気がついた。一円や五円など他の硬貨には植物が描かれているのに、私のもらう一〇円玉には建物が描かれている。この建物はいったいなんなんだろう。当時から好奇心旺盛だった私は、すぐに母にたずねた。答えは「平等院」。お小遣いにもらっていた一〇円玉の図柄ということと、「びょうどう」というひびきは私のこころに深くきざまれたような気がした。

 前おきが長くなったが、そんな思い出のある寺院のあたりを今回は紹介したいと思う。

 JR奈良線の「宇治駅」か京阪電鉄宇治線で「京阪宇治駅」を下車し、いずれも徒歩十分くらいのところに平等院がある。平等院は、ときの権力者、関白藤原道長の子頼通が、一〇五二年に別荘を仏寺に改め、平等院としたのがはじまりである。その翌年には一〇円玉でおなじみの鳳凰堂(ほうおうどう)が完成し、堂内には平安時代最高の仏師定朝によって阿弥陀如来坐像が作成され安置された。いまでは色あせた鳳凰堂の内部ではあるが、よく見ると当時の華やかさをきわめたとされる面影が見受けられる。当時はもちろん民衆には近寄りがたい存在であったが、遠く宇治川の向こうから阿弥陀如来坐像が拝めるように工夫してあるところがおもしろい。約一〇〇〇年前に建立された建造物や仏像はいまでも威厳をはなっており、世界遺産にも登録されているようである。

 その歴史とは対照的にハイテクを駆使した博物館「平等院ミュージアム鳳翔館」も昨年完成した。当時の鳳凰堂のまばゆいばかりの内装がコンピュータグラフィクスで再現されている。一見の価値がある。

 もう一つ平等院の目と鼻の先に「山宣」こと山本宣治の墓碑がある。その墓碑には今もはっきりと山宣最後の演説の一文が刻まれている。

 「山宣ひとり孤塁を守る。だが私は淋しくない。背後には大衆が支持しているから」。

 彼は若いころから海外に留学し、「自由と民主主義」の思想を身につけた生物学者であった。そして当時の日本の現実を直視し、学生に学問を教えるだけでは満足せず、貧しい労働者・農民にまじって世の中をよくする運動に身を投じていった。

 やがて当時日本共産党の影響力の強かった労農党の代表として衆議院議員に当選し代議士になった。そして国民を帝国主義戦争へとかりだそうとしていた政府の政策に真っ向から対決し、唯一治安維持法に反対した代議士であった。しかし当時の状況からしてその行為は死を意味するものであった。彼は軍国主義的支配層にやとわれた右翼に暗殺された。享年三九歳、あまりにも若すぎる死であった。私の手元に当時を生きたある革命家の回想録がある。それには山宣暗殺事件のことについて次のように書かれている。

 新聞報道で山宣が心臓を一突きにされ、即死したと聞いていた回想録の著者は、山宣の亡骸をみて顔が傷だらけなのに驚いた。そしてまわりの人になぜ山宣の顔にこれだけ傷がついているのかを尋ねた。その答えは、「新聞の報道どおり、山宣は最初の一突きで心臓をやられたらしいのですが、暴漢が逃げようとする後からくみついて、はなさなかったようです。宿の主人の話では、暴漢は山宣をひきはなそうとして、随分もがいたようで、二、三回大きな音がしたそうですが、そのまま二階の廊下をなにかひきずるような音に変わって、突然、梯子段から二人がもんどり打って転がり落ちてきたんです。その時、山宣の心臓はすでに活動を停止していたのに、右手には逃げた暴漢のちぎれた上衣の袖をかたくつかんでいたそうです。顔や手足にある擦過傷は、梯子段を転がり落ちるときについた傷でしょう」(「未完の旅路」大塚有章)。

 私はこれを読みショックをうけた。私は今まで、自分の信念通り生きて死ねれば本望だと思っていた。しかし彼は違った。彼の右手に固くつかまれたものは殺し屋の袖なんかではなく、背後でかれらをあやつっている凶暴な支配階級そのものであったにちがいない。彼は、死してなお階級敵をつかんではなさず烈烈たる闘魂でたたかいつづけたのである。私の考えがいかにあまいものであったかを思い知らされたような気がした。偶然ではあるが今年私は山宣の享年と同じ歳になる。しかし、今の私には逆立ちしても彼のような強靱な精神力が宿っているとは思えない。裕福な家庭に育った彼がいかにしてこのような精神力を鍛えあげたのであろうか。もっと山宣を研究したいと思った。そして、山宣の墓碑を前にしたとき彼の意志を継ぐことができたらどんなに光栄なことだろうという気持ちで感無量になった。

 京都・平等院にこられることがあればぜひ詣でてみてはいかがだろうか。ちなみに山宣の実家である高級料理旅館「花屋敷」も近くにあるので余裕のある方は宿泊してみてはいかがだろう。こちらには山宣ゆかりの資料館もあるみたいである。

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