社会変革のために闘った人々の足跡

天龍寺〜亀山公園 (京都・嵐山)

生粋の京都人

『労働通信』2002年11月号

 秋も深まり、日一日と野山の色づく季節となった。この季節、京都では紅葉を楽しむ人人が全国から訪れ大いににぎわう。紅葉で有名な名所は数おおくあるが、なかでも京都の嵐山はとびぬけて有名な場所である。写真や絵画でもおおく紹介されているが、やはり現地で実際に自分の目で見てみたときの感動はひときわである。

 そんな美しい季節を迎える嵐山の一角を今回は紹介しようと思う。
 嵐山は京都の西方に位置し、大堰川をはさんだ地域をいう。JR山陰本線の嵯峨嵐山駅や阪急嵐山駅で下車すればよい。観光のメッカだけあり、ほかにもいろいろと交通機関はあるので一番便利な交通機関を見つけてくればよいだろう。ただし、この時期マイカーはおすすめできない。道路がせまく、渋滞するので紅葉見物どころではなくなるからである。

 嵐山で有名な渡月橋から北に歩いていくと、天龍寺という寺がある。この寺は、後醍醐天皇の霊を慰めるために、足利尊氏が亀山離宮を禅寺に改めたのがはじまりであり、禅宗の三派(臨済宗、曹洞宗、黄檗宗)の一つ臨済宗の本山でもある。ここには、曹源池庭園という日本の美を凝縮したような美しい庭園がある。この庭園には日本最古といわれている石橋があったり、中国より伝来した平和観音が祭られていたりするところも興味深い。もちろん紅葉も格別に美しく、この時期おすすめの観光スポットである。

 一九九七年秋には法堂に加山又造画伯の「平成の雲龍画」が完成し、期間を決めて公開している。天井いっぱいに描かれた龍の絵には圧倒される。どこから見てもその龍の目がこちらをにらみつけているように生き生きと描かれている。私が以前訪れたときは閑散期で、その建物には私一人しかいなかったので、失礼してあおむけになり絵を鑑賞させていただいた。しばらくすると巨大なその龍に自分の体が包まれていくような不思議な感覚を覚えるほどであった。

 そんな美しい天龍寺もたびたび兵火にみまわれたそうである。最後に焼かれたのは明治維新前夜の一八六四年の禁門の変(蛤御門の変)のときだそうである。天龍寺には、長州藩の木島又兵衛らが駐屯し御所への突入を準備していたという近代日本夜明けの一舞台にもなったところである。

 渡月橋に戻り川沿いに西の方へ歩いていくと亀山公園という丘のような公園がある。そこには、若き日の周恩来が日本を去る前にこの地を訪れ詠んだ「雨中嵐山」の詩碑が日中平和友好条約締結の翌年にたてられた。今年は、日中国交正常化三〇周年でもあり、若き日の周恩来の心情にふれるのもよいかもしれない。

 ご存じの方もおおいと思うが、周恩来は一九一七年秋から一九一九年春にかけて日本に留学し勉学に励んでいた。時期おなじくしてロシアでは世界最初の社会主義政権・ソビエト連邦が誕生し、日本国内でも労働争議が頻発、米騒動がおこっている。そのような情勢のもと周恩来も社会運動に関心をよせるようになる。京都帝国大学の聴講生となった周恩来は、著名なマルクス経済学者の河上肇が創刊した雑誌「社会問題研究」などにも影響され、しだいにマルクス主義への確信を強めていくのである。帰国後、天津で五四運動に参加し、政治運動にかかわるようになっていく。そして翌年欧州に留学しパリで共産主義小組(後の中国共産党パリ支局)に参加し革命家としての道を歩んでいくのである。中国の偉大な指導者が京都の地でマルクス主義に目覚めたというのはなんとも興味深い話である。

 こんなおもしろい見どころのある嵐山へ一年で一番美しい季節に足を運んでみてはいかがだろうか。

「雨中嵐山」の大意
雨の中、二度嵐山に遊ぶ。
両岸の青い松が幾本かの桜をはさんでいる。
その尽きるところに、ひとつの山がそびえている。
流れる水はこんなにも緑であり、石をめぐって人影を映している。
雨脚は強く、霧は濃く立ちこめていたが、雲間から一筋の光がさし、眺めは一段と美しい。
人間社会のすべての真理は求めるほど曖昧である。
だが、その曖昧さの中に一点の光明を見つけた時にはさらに美しく思われる。

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