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急速に変化する技術についていくかそれとも失職か |
『労働通信』2002年11月号
「もう半年ちかく仕事につけていないんです。ぜいたくはいえません、どんなことでもやります」。
五三歳になるAさんは、あるソフト会社の面接でこうきりだしたが、面接の担当者は冷たいまなざしをむけた。
Aさんはかつて大手食品メーカーの情報システム部門に三〇年ちかくつとめてきた。メインフレームとよばれる大型コンピュータをつかった社内システムの開発や構築を手がけて、情報システム部の責任者にまでなった。ところが五年まえにこの会社が倒産した。
情報システム部門三〇年の経験に自負をもっていたAさんは、ここでつちかってきた専門技術をいかしてソフト会社へ転職をはかろうとした。だが、すでに大型コンピュータの時代はすぎさり、パソコンやインターネットの時代となっていた。しかも長年つちかった専門技術といっても、一食品メーカーでのシステムの経験でしかなく、他業界のシステムについての知識がないと相手にされなかった。だいいち、五三歳という年齢そのものが敬遠された。
結局この五年間、Aさんがつけた仕事は、旧型のシステムの改造にかかわる案件で、いずれも三〜四カ月の短期のアルバイト的な仕事ばかりである。しかも継続的に仕事があるわけではなく、何カ月も空白があいてしまう。不況感がつよまるこの半年はほとんど仕事がない。だが、収入がなくても、家賃をはじめ衣食住の費用は確実にでていく。
公園などで最近急速にふえているホームレスの青テントをみて、Aさんは「とても他人事ではない」と思った。
Aさんの話は、特殊な例ではない。
IT(情報技術)業界のなかでは最近、「五年後、一〇年後、自分がどのような技術者になっているかというスキル・パスを頭に描いて、日ごろから技術向上をはからなければならない」といったことがよくいわれる。この業界は、日経連がいうところの「エンプロイヤビリティ」(雇用される能力)がもっとも求められている業界だからである。
IT業界ではたらく労働者には二つのスキルがもとめられている。
一つはいうまでもなく「テクニカル・スキル」――技術的な能力だ。
コンピュータ・システムの導入、企画・立案から、ソフトウエアの開発、ネットワークの構築・保守、ハードウエアの設計・製作、さらにウィルスや情報漏えいなどにたいする安全対策まで、どの分野でも高度な知識が必要である。しかも、本の上の知識だけでなく実際に仕事をつみかさねた実務経験が何よりものをいう。そのうえ、技術の変化は急速ではげしいし、かつての大型コンピュータの時代からパソコンへ、さらにインターネットと連携したシステムへと、技術のアーキテクチャ(設計思想)や体系が大きく根本的にかわってしまうこともひんぱんである。そのため、IT業界ではたらく労働者は、つねにあたらしい技術動向を把握し、勉強していかないとついていけなくなる。
もう一つが、「ヒューマン・スキル」――いわば「人」としての能力だ。
IT業界といえども、パソコンにむかって一人もくもくと仕事をしておけばよいというわけではない。グループで作業するケースがおおいし、顧客とのやりとりも必要になってくる。かぎられた予算や納期で高い品質のシステムをたちあげなければならない。そのため、他人とコミュニケーションする能力や顧客と折衝したり、外注先を使ったり、グループをまとめ、仕事の進捗を管理するなど、交渉力や組織力、管理能力までも求められてくる。こうしたヒューマンスキルのほうは年齢が高くなるほどもとめられてくる。
IT業界で「エンプロイヤビリティ」を高めようとすると、どうしてもこの二つのスキルをつねに向上させていかなければならない。
さきにのべた「スキル・パス」とは、こうした二つのスキルを向上させていくためのプランだとされ、あたかも労働者が自由に夢を描けるかのようにいわれている。しかし、現実は、Aさんの例にみられるようにきわめてきびしい。「スキル・パス」は事実上、資本にとって「このような労働力なら買ってやる」というリストであり、IT業界の労働者にとっては生き残るための条件を意味している。
たとえばコンピュータの専門学校を卒業してソフト会社に就職した二二歳の青年がいたとしよう。学校で専門知識をならったといっても、「広く、浅く」なので現場ではまず役にたたない。まずは、二〜三カ月は会社でもう一度徹底的に勉強したのちに、見習いとして実際のプロジェクトに参加し、仕事のなかでソフト開発を体でおぼえていく。毎晩の帰宅が「午前様」となるような超長時間過密労働の「火事場プロジェクト」を何回か経験して「心身ともに鍛えられる」。この仕事に音を上げたり、文句をいうものは「スキル・パス」からはずれ、この業界からさっていく以外になくなる。
こうした新人時代を二〜三年経験して二〇代なかばともなると、なんとか一人前となる。この時期に、仕事としていろんな種類のプロジェクトをこなし、あたらしい技術分野も経験することができると、自分の技術向上にはかなり有利である。資格もとるとなおよし。もちろん仕事の合間をぬって、つねにあたらしい技術の勉強はかかせない。技術者としての「市場価値」は高まるので、より待遇がよく質の良い仕事ができる会社へ転職することも可能だ。
逆にこの時期に、同じような種類の仕事ばかりさせられていたり、自分でも勉強することができないと、あらたな技術の動向についていけなくなる。冒頭に例にだしたAさんの場合は、ずっと一企業の情報システム部で仕事をしていたため、仕事の種類や知識、技術分野などがきわめて限定されてしまった例である。そうなると、会社がつぶれたり、転職するとつぶしがきかなくなる。またもや「スキル・パス」からはずれる危機が訪れる。
やがて、三〇歳前後になると、成功や失敗の経験も豊富で、鍛えられた技術者となる。この段階になると、技術だけでなく、顧客と折衝したり、チームをまとめたり、予算管理をしたり、あるいは営業的なこともしなければならないなど、「ヒューマン・スキル」がもとめられてくる。プロジェクト管理の手法などについては、アメリカなどで開発された理論があるので、それを習得しつつ、実際に応用するなかでさらに技術向上をはかっていく。
三〇歳をすぎても、マネージメント方面をきらって、技術ばかりに没頭していると、だんだんと敬遠されて、やはり「スキル・パス」からはずれていく。
このころになると、いままで蓄積されたノウハウや人脈を生かして、みずからベンチャー企業をたちあげようという人々もでてくる。「スキル・パス」の選択肢の一つだ。
そのまま会社にとどまって、四〇歳代、五〇歳代になると、だんだん新技術に対応できなくなってくるし、会社内でもだんだんとリストラの対象となってくる。
いまの青年は、こうした将来像をある程度イメージして
、自分の「スキル・パス」をどのようにとっていくのかを設計することがもとめられている。だが、問題は、こうした技術向上のための時間やコストをだれが負担するか、という問題である。
これまでなら日本の企業は、新人を採用したのち、一定期間は企業の負担で研修をうけさせていた。とくにIT業界は技術がなければ仕事にならないので、入社後数カ月間は「勉強することが仕事」とされてきた。また中堅の労働者であっても、技術の流れがかわると、ある程度の「転換教育」を企業の負担でおこなってきた。
ところが最近は、企業間競争がはげしくなるなかで、どの企業も人材育成に十分なコストをかけている余裕がなくなり、「即戦力」を追い求める傾向がつよまっている。とくに中小企業では深刻である。
このようななかで、一部の中小のソフトハウスのなかには、就職を希望してきた若者にたいして、「会社の場所とパソコンを提供し、技術をおしえてあげるから、ここにきて勉強しなさい。○カ月後にテストをして、合格したら、採用します」といって、採用せずに研修させるところがでてきている。もちろん、採用していないので無給だ。
それでも、「専門学校へいけば授業料がかかるし、ただで勉強できるならいい」と、この新しいタイプの新人研修をうける若者があとをたたないという。
中堅クラスについても、仕事を中断してまで「転換教育」をおこなう余裕が企業にはなくなってきている。労働者も日ごろの仕事におわれて、新しい技術を勉強するだけの時間的な余裕さえなくなっている。このなかで、自分のもっていた技術が時代遅れになって、仕事がなくなってしまうことさえめずらしくなくなっている。「自助努力」といっても限界がある。
「自助努力」でエンプロイヤビリティを高める。企業は、その成果だけをとって、リスクは負わない。日経連がいうところのエンプロイヤビリティ政策の典型的な姿である。