労働者が精神的にも肉体的にも疲弊

大企業の現場から

『労働通信』2003年1月号

大企業でも、成果実績主義の賃金体系により、労働者が「成果」をあげるために深夜にわたる長時間のサービス労働をせざるをえなくなる状況がうまれている。その実態を電機産業と化学産業の労働者から報告してもらった。


気づいてみれば減収

IT関連労働者
石井 久雄

 私の会社は大手IT関連企業ですが、今期も業績が伸びず、きびしい構造改革がすすめられています。そのようななかで私たちの収入は確実に減りつつあります。まず、私の会社は、大手企業ということもあり、中小企業のようにあからさまなかたちで賃金体系を変えて賃金を下げたりはしません。それは、世間体もあるし会社の評判の悪化を恐れてのことでもあると思います。しかし、すでに成果主義の賃金体系を採用しており、業績をあげられなかったものは自動的に減額される仕組みになっています。とくに、今のような不況下では、会社が期待するような業績を上げることは難しく、必然的に個人の成績が下がります。ボーナスについても会社業績と個人の成績評価とが連動しており、全体的に減額になっていきます。また、目につきにくいところでの減額もおこなわれています。たとえば、今年度は、毎年四月におこなわれている昇給を一〇月に遅延させたり、残業代の割増率を下げたり、各種手当てを廃止したりしています。

 

 いま考えてみれば、成果主義の賃金体系も導入当初は成果があがれば収入も上がる、成果があげられなければ収入も下がるというのが当たり前のこととして論議されていました。しかし、私は最近、成果は個人の能力だけでは上げられないということに気づいてきました。いくら一生懸命がんばっても日本の経済自体が停滞しているなかでは、会社が思う成果があげられないのは当然です。しかし、経済状況を無視した成果主義のしくみは、個人の成果を個人の能力と決めつけている節があり、成果があげられないのは個人の責任であるかのように見なされます。それでは従業員のやる気も失せてしまうのではないかと思います。鳴り物入りで登場した成果主義賃金制度ですが、「経済不況→成果不振→減収→早期退職勧告→解雇」というパターンの道具にされていることが鮮明になりつつあります。今回の「賃下げ」も成果に関係のない部分は切り捨てるという成果主義の延長線上にあるような気がします。

 さらには、早期退職制度が導入され人員整理が数千人の規模でおこなわれるなかで、今回の賃下げは仕方がないという風潮がまんえんしつつあります。大手企業ということもあり、中小企業にくらべれば賃金がまだまだ優位であることもそうした風潮を助長しているのは確かです。しかし、従業員のなかには成果主義の考えが固定化しつつあり、そのような賃下げを疑問に思わない者が増えています。そして、会社の期待する成果が上げられなければ減収し、さらには解雇されることが当然の常識とする文化がじょうせいされつつあることに非常な危機感を覚えます。成果主義という制度がほんらい労働者のなかで息づいている連帯感や友愛の精神を破壊しているような気がしてなりません。


成果をあげるため深夜までのサービス残業が横行


化学労働者
水谷郁夫

 経済の矛盾からくる先行きの不透明感から、現在、東ソーではいかなる経済状況になろうとも収益が確保できるよう事業体質の変革に本格的にとりくんでいる。そのため製造部門のみにとどまらず、全社的に組織の「よりいっそうの効率化」を推進するため諸施策を講じた。たとえば、製造現場では高度なコンピュータ・システムの導入による計器室の統合、製造工程の一部外注化がなされた。それに間接部門がつぎつぎと分社化されていった。

 これらは本体従業員の削減をおこなうことによって徹底した人件費の削減をすすめようとするものである。また、これにともなって賃金制度の改定も段階的におこなわれ、二〇〇一年四月にもっとも新しい賃金体系が導入されている。その中身は一般職と総合職の二本のコースを明確にしている。

 一般職コースの基本的考え方は、安定的昇給を基本としながらも、技能・熟練度合いを昇給によりいっそう反映させることで、能力反映度合いを高めている。総合職コースの基本的考え方としては、年功的色彩や自動昇給のシステムを廃止し、従来の能力進展による昇給にくわえ、成果・業績による昇給を一部とり入れている。どちらのコースにおいても能力・業績が従来にもまして賃金におおく反映するかたちとなっている。そしてこの能力・業績を評定するにさいして労働者と上司が面談するのだが、最終的な決定は上司の手にゆだねられている。

 このような新賃金体系について労働組合は終始協力的で「労働者の成果を正当に評価し、それを処遇に反映させる制度を構築することが将来にむかってのはたらきがい、生きがいにつながる」といっている。そして最近では、会社は能力・業績をより賃金に反映させて労働者の賃金格差をさらにひろげようという方向を考えている。

 このような賃金体系はけっして労働組合のいう働きがい、生きがいを本質にしているものではなく、実態は労働者の賃金が抑制され、そのうえ労働強化につながっている。総合職にいたっては短期間におおくの課題がだされ、夜おそくまで会社にいのこってサービス残業をしているという姿がめずらしくなくなった。また一般職においても昇給率が上司の裁量ひとつできまるのでおかしいと思っても、おもてだって会社や上司に反抗できなくなっている。

 このことは、会社の労働者にたいするいっそうの搾取と、よりいっそうの労働の効率化を高めるために労働者の心理を利用しようとするものだ。

 必然的に労働者のなかにはこうした賃金体系に疑問を持つものもあらわれてきている。実感として賃金がそれほどあがっていないのに仕事だけがいそがしくなっているからだ。

  まだ、団結・連帯してどうこうしようとまではいたってないが職場に不満がまんえんしていることだけは事実である。資本主義の矛盾を労働者に転嫁することは許されるべきことではない。会社のいう収益のあがる構造改革とはまさに労働者を精神的にも肉体的にもぼろぼろにするものである。

 

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