特集 広がる「成果実績主義」

『労働通信』2003年5月号

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電機大手F社の成果主義賃金

「成果主義」のもとますます 将来の 生活に希望が持てない

電機産業労働者 平野英世


 電機大手F社では大手企業に先駆けて一九九八年より成果主義のしくみを強化してきた。このしくみは当時おおくの日本企業の目標になっており、手本とまでいわれていた。しかし、現在、皮肉にもその経営は電機大手のなかでもっとも危機的な状態に陥っており、大規模なリストラを強行したにもかかわらず、いまだに出口の見えない先行き不透明な状態が続いている。このことは、労働者の生活や将来設計、そして何より賃金が労働力の再生産費であるという本来の意味を全く無視した成果主義にもとづく賃金体系や人事処遇制度が、大多数の労働者の労働意欲をそぎ、新しいものにチャレンジしようという気持ちを起こさせることができないということを証明している。そして、この成果主義の制度が生産性をあげる事ができないという証拠でもある。

 さらに経営トップからは会社の業績が上がらないのは「従業員が働かないから」(『東洋経済』)という経営者とは思えない無責任な発言さえされている。成果主義での労働強化と経営者の無責任ぶりに労働者はやりきれない気持ちである。

形骸化した人事処遇制度

 F社の人事処遇制度は、労働者の格付けをおこなう「ファンクション区分/等級制度」と労働者を評価する「目標管理評価制度」という二本立ての制度からなる。

 ファンクション区分とは労働者の職種分野を細かく分類したもので、たとえば「営業職の直接営業」だとか「製造/オペレーシュン職の組立・制作」といったように分類されている。その一つ一つの区分のなかで三級から六級の等級がさだめられ、各級のおこなうべき職責がさだめられている。等級はさらに細かく達成度区分(SS,SU、ST、U、Tなど)にわかれている。労働者はその職責をもとに半期ごとに目標をたて、仕事をおこなうのである。そして半期ごとに目標を達成したかどうかの評価がおこなわれ、その成績によって等級やそのなかの達成度区分があがったり給与の増額がきまる。もちろん成績不振が続くと等級が下がり給与も下がるという仕組みである。これは一見がんばった労働者にたいしてよりよい処遇をおこなう合理的な制度のように見えるが、実際は、目標をたてる段階で、上司から無理な目標を押しつけられ、はじめからやる気をなくすものが少なくない。

 また、目標の達成度合いは景気に左右される事がおおく、労働者の能力が高いからといって必ずしもよい成績があげられるとは限らないのである。さらに成績によって所得が左右されることから労働者は将来の生活設計に希望が持てない状態である。とくに二〇歳代のこれから会社を背負う世代からは、毎年の給与もほとんど上がらず、「このままでは結婚もできない」とか「子供はほしいが育てていくだけの余裕がなく将来設計も立てることができない」という意見がおおく聞かれる。労働者はみずからの防衛本能として、目標を達成しやすくするために目標を低くしか設定しない傾向がふえており、企業活動の重要な要素である新規商品の開発やチャレンジングな商談獲得などへの影響が出ている。また、他の労働者へ成果を奪われないように個人プレーの仕事しかできず、チームプレイが重要となる大規模なプロジェクトで多大な損失をだしている。それらの結果がF社の業績不振にも結びついているのである。

昇給が望めない賃金体系

 賃金は大きく分けて「本給」と「職責給」に分けられ、それに各種手当てがプラスされる。

 「職責給」は等級と達成度区分によって決められており、年齢に関係なく一定である。ここ二年間、「職責給」は固定されており、昇級しないかぎり変わりはない。F社では定期昇給という制度はすでになく、昇給は成果に応じて点数化されその点数に応じて本給が上がるしくみである。昇給の割合も同じ成績のものでも本給をおおくもらっているものほど上げ幅が小さくなるしくみである。したがって成果があげられなければ昇給はゼロであり、それが続けば等級や達成度区分が下がり賃金が下がっていくのである。しかもその上げ幅は今年になってさらに小さくなり労働者の生活不安を大きくしている。

 そんななかでも労働者は成績をあげるためにサービス残業をしたり、月に一〇〇時間〜二〇〇時間という信じられない長時間残業をおこなうものまであらわれており、健康を害するものがふえている。

 一時金については会社の業績に左右される仕組みになっており、F社のような業績不振では期待の持てるものではない。

露骨な解雇攻撃

 会社は目先の利益を追求するのみで労働者の生活については責任をとらないことがはっきりしてきた。F社社長は「雇用は手段のひとつで目的ではない」「経営と雇用の責任は両立しない」(朝日新聞)と明確にのべた。これは労働者が資本に利益を生みだすための道具でしかなく、いつでもぼろ雑巾のように切り捨てるということであろう。

 現実に職場では、体力的にも衰えつつある五〇歳前後の労働者にたいし露骨な退職勧奨が行われている。ある五〇歳代の労働者は、突然六級から五級に等級を下げられ給与カットされた。また、研修という名目でなれない分野の教育をほとんど指導もなく缶詰状態で自習させられ、一カ月ごとにテストされ、その成績がかんばしくないと労務担当からひいどい厭味をいわれるという状況が続いた。あげくのはてには「会社をやめてくれ」「これ以上会社は君を養うことはできない」「君を受け入れる部署はどこにもない」といわれ自主退職を迫られている。その労働者は、「家のローンも残っており、子供を学校に通わせなければならないので会社をやめるわけにはいかない」と途方にくれている。同じ境遇の労働者は多数おり、会社の攻撃に耐えられず自主退職した者もたくさんいる。それらのおおくは若いころにはバリバリ働き会社に貢献してきた労働者である。退職しても五〇歳代の再雇用は難しく未だに職を見つけられないものがほとんどである。

 このようにF社の成果主義は「頑張ったものが報われる制度」でもなんでもなく、ただ「資本のために利益を生み出す労働者を選抜する」ための仕組みでしかない。多くの労働者は将来に希望が持てず、また、自分の仕事に誇りをもてないで精神的にも肉体的にも苦しんでいるのである。

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