この土俵で敵のまわしを取らなければ相撲にならない

全逓支部役員 久保孝夫

『労働通信』2003年9月号


 いま、郵便局の職場は、郵政公社の発足と全逓の全国大会を経て、組合員の意識のなかにかなりの変化が生まれている。支部の執行委員会、職場集会のなかで、これからの組合活動をどうしていくかという論議がはじまっている。このなかには、二つの意見の流れがあるが、私はこの二つの意見を整理するなかで、今日的な組合活動の行き詰まりにたいする打開策とまではいわないが何かしらヒントのようなものが見えてきた。

組合員から出された二つの意見の流れ

 おおくの組合員のなかからだされた意見の一つは、全逓中央にたいする批判、さらには「どうしていったらよいのか、もうだめではないのか」などと、今後の組合活動を危惧するものだった。

 「全国大会では下部組合員の要求が受け入れられずに、ほとんど中央の考えがおしとおされたではないか。秋には、臨時大会がひらかれて、組合の名前も旗もイメージカラーも変わり、組合費も三〇%安くなるが、そのかわりに運動もしなくなるのではないかと心配している。これからは、全逓の名前で闘争ができなくなる。これまでわれわれのなかには全逓組合員としてのプライドがあったが、しかし、これからはそれもなくなり、名前もかたちもかわる。たたかいもなくなる、組合にかかわりたくない。やっと、これでふんぎりがついた。一つの時代のおわりだ」。

 こうした意見にたいして、執行部や一部の組合員から次のような意見がだされ、討論がすすんでいった。

 「いまの事態を投げやりに考えることは、あまり無責任すぎるのではないか。これまで、われわれはたたかいと団結を大事にしてきたではないか。同じ釜の飯を食う仲間と支え合ってきた。この立場にたって、労働組合と活動を大事にしていかなければならないと思う。これからは、組合の上部も、運動の基調などもかわってくる。だからといって、『本部の方針ではたたかえない』といくらぼやいてもダメだ。そこからは何も生まれてこない。いままでは、資本や郵政当局のだしてくる政策、かれらのおこなうことに反対だけしておればよかったし、反対することだけがたたかいであり、階級的にわかりやすい時代であった。いまは、そうではなく非常にわかりにくい時代になったのではないかと思う。だからといって、組合もいらない。何もやりたくないと考えるのではなく、こんにちが新たな時代の転換点にあるとみるべきだ」。

新しい状況下での組合活動のあり方を模索する

 わたしは、こうした意見の二つのながれをふかく考え、討議をふかめていくことはきわめて大事なことだと思った。これから新たな組合活動がはじまる。労働組合がやらなければならないことは山積している。いま、どこの職場でもいそがしくなっており、「真っ向サービス」のスローガンのもとに既得権がつぎつぎともがれている。

 これは一つの例であるが、「個人指標」などがだされて営業が強要されている。営業活動はすべての職員に一人あたり「ゆうパック」八個のノルマとしておしつけられている。仕事のうえで人人に接触することのできる「外勤」のものなら仕事の途中で注文をなんとかとることができるが、そうでないものは勤務外にやらなければならない。注文がとれなかったら査定がわるくなり、賃金や手当にひびく。全逓が新人事制度をみとめた以上は反対することにならない。しかし、現場の深刻な声は労働組合として無視することはできない。私がおもうこれからの組合活動は、「注文をとる」営業活動に参加し、その結果による問題点(たとえば売りやすい商品開発、営業活動の公的時間の確約・手当、担務担当の補佐要員確保など)をあきらかにし、これを正当な要求にまとめて公社と交渉し、一つひとつ解決していき、もし当局が理由もなく拒否すれば、「サービス低下の原因」として追求し、この施策をやめさせるという積極的思考方法を打ち出すことが必要だといえる。組合的に問題点を整理してよりよい業務、だれにでもできる営業という仕事を公社に認識させ、働きやすい職場をかちとるということである。

 この営業活動は、組合員のなかで評判はわるく、注文がおおければ、おおいほど赤字が増えるといわれており、職員のほとんどは家族、親戚で注文をとってかたちだけの協力をよそおっている。これでは職員の自発性を発揚し、企業の健全経営をつくりだすという当局の当初の目的をはたすことになっていない。これはやめさせる方がむしろ、企業の利益になる。やめさせることを組合員とともに組合がやればいい。

 こうしてみれば、組合は経営上の問題、既得権のはく奪攻撃の問題、労働条件低下の問題などたたかわなければならないことはいくらでもある。パートや非常勤の人は仕事のことで、さらに待遇のことで不満や要求は山ほどある。このことの解決はさしせまったことだと思うし、もしわれわれが、パートや非常勤の労働条件などをまもることをやらなかったら、かれらに失礼ではないかと思う。

 郵政では、以前から郵便局長が退職時に、その局の「改革案」をおいていくという約束事がある。今年も局長が「職場改革案」なるものをおいて辞めていった。この「職場改革案」――郵便番号の混在する集配営業課を郵便番号にそった課編成に再編し、より効率的な作業ができるというもの――が問題になっている。それは、区分機のデータ組替えなどに法外な経費、およそ六〇〇万円から七〇〇万円もかかるという代物だという。職員のなかでは、「こんなにカネをかけてやったが二、三年ももたないということになったらもったいない」と問題になっている。いま、全逓と全郵政がともに、これにたいする代案をだして交渉している。

 郵政公社の生田総裁が「上意下達」の職場の文化を改革したいといっている。だからといって、われわれは「当局もいままでよりも多少よくなったのではないか」などと幻想をもち、かれらも組合員の利益をまもる側にたったのではなどと考えてはならない。しかし、われわれは、この状況を無視してもダメだし、機械的に反発してもダメである。むしろ、労働組合は、この状況を利用して組合員の要求にもとづいて、職場における仕事、事業が運営されるような方向をうちたてるために奮闘し、職場における民主主義をかちとらなければならない。労働組合の役割は、明るい職場、楽しい職場、はたらきやすい職場をつくるためにあるのではないかと思う。

 右傾化、迎合などという痛烈な批判の時代を奴らはのりこえ、そしてついに労働組合本部は生産性向上運動のモデル局まで指定することを良とした。この土俵でまわしをとらなければ相撲にはならない。しかし、いまのままだと、せいぜい座布団を投げてかえるのが関の山だ。それでどうなると自分でも問いただす。

 いま、本当に、労働組合活動の転換という重大な時代をむかえているのではないかと痛感している。

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