『労働通信』2003年9月号
私の小学校の校区は、東京に通勤する住宅地で、一戸建てとマンションが混在している。子ども・生徒の進学する中学校は、市内にある県内有数の進学高校への合格率が高い。
最近、学校の要望で父母へのアンケートをおこなったが、そのなかでおおかったのは学力についてであった。「授業時間が減って、学力が低下しないか心配」、「減った授業時間をどうおぎなうのか、対策を考えてほしい」、また、教師にたいしては、「兄弟をみていて、教師の指導内容に差がある。教師同士で話し合い共通理解する場はないのか」、「一部、不適合な教師がいる」というきびしいものもあった。せつじつな課題の子育てやしつけの問題は、ほとんどなく、学校と親をふくめた地域の協力・連帯についての意見もすくなかった。
わたしが経験したことだが、クラス(小二)の親との面談で、わたしの方から「(子どもの)授業中にトイレの回数がおおい」と母親につたえた。母親は、子どもを小児科につれていき診察をうけたところ、医師から「子どもとのふれあいがたらない。もっと子どもに愛情をそそぐように」といわれたそうだ。三年生のクラスの教師は、懇談会で父親からきびしく批判された。しかし、教師はその後、その父親は「わすれものをすることがおおく、しつけがなっていない自分の子どものことは何も知らない」と話していた。
今年、本校に自閉症の子どもが入学してきた。毎日のように、他のクラスの教室にではいりするし、休憩時間には校門からでていこうとする。母親は数回、学校にようすをみにきたりしている。父親は、ようすをみにもこないし、学校との話し合いにも応じようともしないという。学校・校長は、教育委員会に補助教員の派遣を要請している。最近は、国際結婚もめずらしくないが子どもはたいへんだ。ある生徒の父親(日本人)が病死した。すると、とたんに生活がきびしくなる。母親(外国人)は、日本語を書くことも読むこともできない。当然のごとく仕事にはつけない。生活の急激な変化によるショックで子どもは、学校へいけなくなる。このほかにも、父親がリストラや、親の離婚で生活が一気にきびしくなり、子どもがたいへんな状況におかれるという話をしばしば耳にする。
これらのことをみたとき、教育が今日の日本社会でおこっている諸問題と決して無関係ではない。社会における腐敗した非生産的な風潮・習慣、利己的な思想の影響をするどくうけていること、これを考慮にいれて教育実践をすすめたいと痛感している。級を実現することだと思う。わたしの子どもの担任の教師は「一人の教師が四〇人もの子どもたちの家庭状況、成績、性格を把握するのはたいへんな仕事だ」となげいていた。子ども一人一人に手あつい指導をするためには、やはり少人数学級の実現が大切である。このような運動と教育実践をつうじて、地域の勤労父母と団結をふかめ、未来を担う子どもの成長をうながしていくことが大切ではないだろうか。