命の重さ、そして戦争

「労働通信」2004年1月号

 私はどんな戦争も、その経済的土台やそこで行われる政治から見なければならないと思っている。それを見なければ結局はその戦争を終わらせることはできないと考えている。ニューヨークとワシントンで多くの人々が死んだ。一体これらのビルで働いていた人々がテロの標的だったのだろうか。

 誰が考えてもペンタゴンと世界貿易センターが攻撃目標だったろうとおもう。果たして本当に、テロリストはこれだけの多くの人を殺そうと思ったのだろうか。結果として惨禍が大きくなったのか。ひょっとするとビルが自分の重さで崩れてそのおかげで死んだ人も多かったのではないだろうか。

 世界の人々から金融収奪するところで働いて、そのお金で生活していた裕福な人が犠牲になったのと、そこに怪我人がいるから助けに行って、ビルが崩れて下敷きになって死んだ人の間には、ほんのいくらかでも差があると思う。そんな考えが頭をよぎる。
 ましてやそのテロの実行犯をかくまったからといって、それだけでその国を転覆したり、そこに住む人を空爆で殺してよいものだろうか。
これはもう論外だと思う。

 原因と結果、因果関係が少し飛躍して拡大しすぎていないだろうか。もしこれが単純なテロなら、犯人を捕まえて処罰すればいい。そのうえでテロの根源を直せばテロはなくなる。

 中世の宗教戦争時代ならいざ知らず、東西古今の歴史で、長期にこのようなテロが繰り返しおきたことはあるまいに。そうだ中世に逆戻りだというのなら、話はまた別だ。少なくとも、一九世紀からのテロとはいつもそういう一過性のものだろうに。

 ではなぜ今なおテロが起こるのだろうか。それは社会に根本的な大きい矛盾があり、解決できないいらだちがテロを起こさせた元だ。
 もともとこの原因は大部分が革命や社会運動で解決されるべきである。全世界でまたアメリカでもそうやって来た。なぜならばそれが、それだけが、その対立する矛盾を解決するからである。

 いま世界でも日本でもこの根本的いらだち、怒りはいやが上にも増している。しかもその解決手段が全くないと、当然の報いとしてテロがおきる。その点では資本家も悪いが、革命運動の挫折そのものも悪い。

 そうは言っても、およそ考えられないような状況が始まっている。

 今回の事件で、私はアメリカには大規模な戦争を行う力も金もないと考える。目の前に迫っている大不況、ひょっとすると今まで経験したことのない恐慌へ繋がる流れが接近していることを、ITギャンブルに明るい金の操作者は誰より早く知っているから、それから身を守るために、アメリカは大騒ぎをしているのではないかと、ほとんど本気で疑っている。

 日本でも、銀行が不景気だ、不景気と言っているだけでなく、もし今預金をしている人が銀行から、少なくとも約三分の一もの金を引き出したら、今の銀行は成り立つか。おそらく返す金はもうないだろう。ぶっちゃけて見れば銀行はもう本当には機能していないのではなかろうか。郵便局の貯金もだ。ほとんどが無駄な財政投融資などに使われていて食いつぶされていて、もう二度と戻ってくるはずがない。僅か国債を買った五分の一か、六分の一がかろうじて国の赤字分として残っているのだろう。つまり日本人が戦後一生懸命働いて貯めた金はもう全くないかも知れない。

 まじめにこの国のバランスシートを作ったらびっくりするだろう。試算表など決して作れないと思う。真実というものはいつも闇の中だ。
いや誰かが、そうではない君は間違っている、心配するな。金は十分あると説明してくれないかと深く望んでいるのだが。

 小泉は今、経済が破壊されているから、構造改革をやるのだ。そうすれば明るい未来が有る。今だけ我慢してくれと大声でいっているが、実際には何もやらない。それは金がない、すでに破産しているからだけだろうか。私はもっと疑っている。

小泉が何もやらないで、大騒ぎで構造改革の話をしているが、その間に、実際には、めぼしいこの国の大手企業を先頭に、公務員から中小企業に至るまでリストラと言う名の一〇〇万を優に超える首切りが始まった。

 しかしだ。大切な事は、これに反対する勢力はどこにもない。ここにこそ苛立ちがある。多くの働くものと、企業家・銀行家の間に火線が開かれて、そして恐慌が迫っている。しかし解決方法がない。だから戦争に逃げこもうとしているではないか。そうでなければ高々このテロに対して世界最強を豪語していたアメリカが、これほどの大騒ぎをする理由が、どうして説明できよう。あまりにことを急ぎ過ぎて、浮き足だっていないか。さながら火を踏んで走り出すのをみるようだ。普通の人間なら誰もがまずそこを疑う。

 鼠が倉庫を壊したからといって、家に火をつけて殺すものがいるものか。チーズはネズミが持って逃げたのではなく、ぬすっとが持って逃げたのではないか。それともとっくの昔、もともとこの家にはチーズはとっくになかったのではないか。それこそ疑って見なければなるまいに。

 雷がなったからといって強盗はどこだと大騒ぎしているが、泥棒は誰か。誰がカッパラッタのか。世界中から膨大な金を集めて、その金の利殖でアメリカ経済が成り立っている。そんな事情がいつまでも続くと本気で思っていたのだろうか。一生懸命働いている律儀なアメリカ人がそんなことを考えていたなどとは私の頭では到底考えられない。自分自身の重みで崩れたのではないか。私はそのことの方にやり場のない怒りを覚える。

 私は、戦争は誰が最初に始めたかだけではなく、どういう勢力と、どういう勢力が戦争しているかを考えたほうがその戦争の性質が解りやすいと考えている。大きい声はまず疑ってかかる。少なくとも、俺は正義だ。お前は悪だ、では道徳律の論争にはなっても、決して戦争にはならないと考えている。あまりにもうんざりするほど、使い古され、言い尽くされた汚い言葉だ。

 もし言うなら、世界中からばくちの金を集めた賭博場の賭場代で、消費と享楽にふけっている人々と、貧しい、明日の日が食えない人々の新しい戦争だろうに。

 ブッシュの言っているのは戦争ではない。ネズミとイタチか、泥棒と強盗の争いだろうに。

 繰り返し言うが、この世界には、考えられないほどの苛立ちがある。原因はそれにある。仮にアフガンのタリバンを全滅させても、この国に働く人々がいなくなるわけはないし、またパキスタン政府が潰れたとしたら、もっと大きな変化が起こるが、多くの人を戦争に巻き込んで死者をだし、アメリカは一体何がしたいのだろうか。それよりも根本は、誰が世界中の皆の金を持っていったかが、まず明らかにされなければならないと思う。

 いずれにしても出口の見えない長い泥沼の戦いが、もう始まってしまった。私はこの戦争で、アメリカが勝つ事はほぼないと思うがどうだろう。

 きわどい綱渡りの小泉が、この国のまじめで額に汗して働いている人々を、必死で戦争に引きずり込もうとしている。
(『あきみず通信』8号《通巻19号》二〇〇一年一〇月より転載)

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