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労働組合のつくり方――基礎編

 

1、な ぜ、労働組合をつくらなければならないか

 労働者は、人間らしく健康で文化的な生活をかちとるためには、たたかわなければならない。資本主義社会になって資本家とともに、労働者がうまれてきた。そのときから労働者は、賃金は低くされ、労働時間はながく、労働災害のためにいのちをおとし、病気ではたらくこともままならないという状態におかれてきた。およそ人間らしく健康で、文化的な生活など、ほどとおいものになっている。

 ここ数年らい日本経済は、輸出が伸び、海外への工場移転をすすめ、バブル経済をつくりだし、好景気となり、資本家は笑いがとまらないほどもうけた。

 しかし、この時期に、労働者は長時間・過密労働をおしつけられ、おおいものは年間3000時間以上(欧米では平均でも1500〜1900時間)もはたらかされた。労働者は、それでやっと家族がやしなえるという状況であった。労働者の「過労死」が続出したのも、この時期であった。

 こんにち日本経済は、経済恐慌におちいり、バブル経済がくずれ、景気の回復にめどがたたないという事態にたちいたっている。そして労働者は、首をきられて職場をおわれ、より低い賃金、わるい労働条件のところに再就職している。就職口のあるものはよいが、中高年の労働者や中小・下請、パート労働者などには就職口も思うようになく、おおく労働者が失業をおしつけられる羽目に追いこまれている。また、のこった労働者は、残業をカットされ、生活が維持できない状況におかれている。

 このように労働者は、日本経済が好況のときも、不況のときも、まずしい生活をしいられてきている。これが歴史的におかれてきた労働者階級の状態である。わたしたち労働者は、人間らしく健康で文化的な生活をかちとるために、この状態の打開をもとめてたたかわなければならない。

 現在の資本主義社会では、労働者はなに一つ生産手段(もの生産したり、はこんだりするのに必要な土地、工場、機械、トラックなど)をもっていない。そこで労働者は、いきていくために労働力という商品を資本家にうる。つまり、会社にやとわれ、労働力とひきかえに賃金を得るという方法をとることである。会社にやとわれた日から労働者は、賃金という目にみえない鎖でつながれることになる。いくら仕事がおもしろくなくても、不満があっても会社をやめたら、あすから家族をやしなうことができなくなるので労働者は辛抱してはたらくことになる。

 これに反して、資本家は生産手段をもっているので、なん百人あるいはなん千人という労働者を雇いいれ、一人一人の労働者を搾取してもうけている。

 一人一人の労働者と資本家の力は、くらべものにならないぐらい資本家の方がつよい。なぜなら、資本家は、国、自治体など国家機構や裁判所、警察、法律によって保護されているからである。こうしたことは、おおくの労働者がかずかぎりない経験からよく知っている。生活がくるしいため、労働者が一人で会社にたいして「給料をあげてください」と陳情(要求ではない)したら、会社からかえってくることばは「いまの給料でいやならやめてくれ」である。そして、その日から会社側は、その労働者を「不平不満をもつけしからんやつ」とマークして、その労働者だけ昇給をストップさせるという報復手段さえとる。その結果、労働者は泣き寝入りするしかない。

 だが、泣き寝入りだけでおわるとはかぎらない。賃金の低い職場は、かならず労働条件もわるい。長時間労働、福利厚生・衛生設備の放置などかぎりがない。そして労働者は、無権利状態である。こうしたことから、さいしょは泣き寝入りで辛抱していても、つい怒りと不満が爆発して(頭にきて)上司に反抗したり、無断欠勤したり、ときには上司をなぐったりする。その結果は、かならずといっていいほど首になっている。

 このような経験は、世界のすべて労働者が、そして、日本の労働者が歴史的に−−日本の場合、明治(資本主義になって)のはじめからこんにちまで−−なん回となくあじわっている。労働者階級は、このような経験を基礎にして、労働者が生活の改善、労働条件の向上、民主的権利の拡大をはかろうとすれば、集団でたたかうしかないということ、さらに労働組合をつくってたたかうしかないという認識に到達した。こんにち、労働者階級は、世界中どこでも労働組合をつくって資本家階級とたたかっている。

 日本における労働組合と労働者のたたかいの歴史については、ここでは省略するが、その発生についてだけ簡単にふれておくこととする。

 18世紀末に世界は、封建社会から資本主義社会にうつっていった。日本の場合は1868年、明治維新の革命によって資本主義社会にうつった。すでにのべてきたように、このときから労働者は、なに一つ生産手段をもっていない。そこから資本主義社会では、土地、生産手段からきりはなされたもの、だれかにやとわれなければ生活していくことのできない多数の労働者−−プロレタリアートと、生産手段をもつて多数の労働者をしぼりとっていきていく資本家−−ブルジョアジーとの階級的対立がつくられた。この二つの階級の対立は、人人のこのむとこのまざるとに関係なく存在している。

 しかも労働者の数がおおくても、個個の労働者と資本家の一対一では、どうしても対等にたちうちすることはできない。資本主義の初期のころ、労働者はきょくたんな低賃金、長時間労働にあえぎ、ついに辛抱しきれなくなって個人的な反抗から集団的な暴動へエスカレートせざるを得なかった。暴動のような闘争のいくたの経験から労働者は、組織的にたたかう労働組合をつくって、資本家に階級としてわたりあっていくことをつかんだ。そこから労働組合の歴史がはじまっていくことになる。

 こうした歴史的な経験と伝統を、わたしたち労働者がうけつぎ労働組合をつくってたたかっていかなければならない。

 

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